家族を連れて、富士急ハイランドへ出かけた。
小さい子を連れての長時間のドライブでかなり疲れがでた。
富士急ハイランドから見る富士山の模様。
月別アーカイブ: 2010年9月
『パラレルな世紀への跳躍』
太田光『パラレルな世紀への跳躍』(ダイヤモンド社 2003)を読む。
2000年初めから2003年の暮れまでに雑誌「テレビブロス」に連載されたエッセイを再構成したものである。著者である爆笑問題の太田光氏がちょうど今の私の年齢の頃に書いていたものであり、自分と比較させながら読んでみた。
レギュラー番組を何本も抱えて、次から次へとタイムリーな話題に飛びついていかねばならない社会派芸人である太田氏が次のようなコメントをしているのが印象的であった。いささか長くなるが引用してみたい。
(小泉首相の訪朝から始まった北朝鮮報道がイラク戦争の勃発でぴたりと止んだことについて)
ニュースからニュースへと移り変わるスピードが速く、一つの話題の重要性はもう次の日には二番目三番目へと落ちる。その度に我々は、かつて重要だった話題をあまりにも早く風化させてしまう自分達の態度を戒めもするのだが、現代に生きている限り、起こり得る物事のテンポはゆるめることは出来ず、また同時に考えられる物事の数には限界があり、結局は流されていくことになる。
(また再び、イラク戦争でのアメリカ外交への検証がないままに、北朝鮮問題が浮上することについて)
我々はいったん途切れた場所からもう一度同じ議論をし直すことになるのだろうし、その時点では既に遅く、前回同様有効な手段は何も打てないまま、その場だけの議論で不発に終わるという可能性が高い。そうなっ た時に改めて我々は、一つの話題をある時点で途切れさせてしまったが為に、多少の時間があったにもかかわらず、その話題をその時必要な程に成熟させることが出来なかったということを思い知ることになるのではないだろうか。
日本という国はいつもこんなふうにして、先手を打てないということを繰り返しているのではないだろうか。物事を途切れ途切れの点と点にしてしまうから、後から点と点を繋いで線にし直す作業が必要になる。
『日本史原論:昭和は遠くなりにけり』
爆笑問題『日本史原論:昭和は遠くなりにけり』(幻冬舎 2003)を読む。
芥川龍之介の自殺で幕を開けた昭和2年(1927年)から、バブル華やかな昭和64年(1989年)までの戦争、事件、世相を漫才形式で綴る。タバコのピースが戦後1946年に発売されたことや、昭和の流行語などの小ネタを仕入れることができた。
パンフレット研究:京都外国語大学・短大
1947年創設の京都外国語学校を前身とし、50年設立の京都外国語短期大学を経て、1959年に4年制の大学となっている。当初は英米語だけであったが、順次スペイン語、フランス語、ドイツ語、ブラジルポルトガル語、中国語、日本語、イタリア語学科が増設され、2010年には国際教養学科が開設されている。また、同じキャンパスに夜間課程の短期大学を併設している。教員も昼間の4大と夜間の短大の両方の授業を受け持っており、施設だけでなく、人材も効率よく使用している。
東京でいうと、神田外語大によく似ており、おしゃれなキャンパスに、インターンシップや国際交流、ボランティア、弁論大会、海外留学といった言葉が踊っている。学科紹介のページでも「コミュニケーション」「異文化理解」「自国文化理解」、「多言語多文化」といったタームがあちこちに散りばめられている。そしてどの学科も当該言語習得に加え、文学や歴史、地域についての入門的な授業がプラスされている。よく言えば興味関心の赴くままに幅広く学べるといえる。が、悪く言えば、言語以外はなおざりで、講師の先生の専門領域の科目を並べたにすぎない。
私自身が受験で英語文法に苦労し、学生時代には第2外国語のロシア語を落として落としてきたので、外国語全般にはあまり良い思い出がない。そのため、大学で語学をメインにするというのは苦行のように思えて仕方がない。