太田光『パラレルな世紀への跳躍』(ダイヤモンド社 2003)を読む。
2000年初めから2003年の暮れまでに雑誌「テレビブロス」に連載されたエッセイを再構成したものである。著者である爆笑問題の太田光氏がちょうど今の私の年齢の頃に書いていたものであり、自分と比較させながら読んでみた。
レギュラー番組を何本も抱えて、次から次へとタイムリーな話題に飛びついていかねばならない社会派芸人である太田氏が次のようなコメントをしているのが印象的であった。いささか長くなるが引用してみたい。
(小泉首相の訪朝から始まった北朝鮮報道がイラク戦争の勃発でぴたりと止んだことについて)
ニュースからニュースへと移り変わるスピードが速く、一つの話題の重要性はもう次の日には二番目三番目へと落ちる。その度に我々は、かつて重要だった話題をあまりにも早く風化させてしまう自分達の態度を戒めもするのだが、現代に生きている限り、起こり得る物事のテンポはゆるめることは出来ず、また同時に考えられる物事の数には限界があり、結局は流されていくことになる。
(また再び、イラク戦争でのアメリカ外交への検証がないままに、北朝鮮問題が浮上することについて)
我々はいったん途切れた場所からもう一度同じ議論をし直すことになるのだろうし、その時点では既に遅く、前回同様有効な手段は何も打てないまま、その場だけの議論で不発に終わるという可能性が高い。そうなっ た時に改めて我々は、一つの話題をある時点で途切れさせてしまったが為に、多少の時間があったにもかかわらず、その話題をその時必要な程に成熟させることが出来なかったということを思い知ることになるのではないだろうか。
日本という国はいつもこんなふうにして、先手を打てないということを繰り返しているのではないだろうか。物事を途切れ途切れの点と点にしてしまうから、後から点と点を繋いで線にし直す作業が必要になる。