日別アーカイブ: 2010年6月5日

『爆笑問題の戦争論』

爆笑問題『爆笑問題の戦争論』(幻冬舎 2006)を読む。
あとがきでの太田光氏のコメントが印象に残ったので引用してみたい。全く自分自身の言葉で、戦争の是非はともかく、自分の過去を否定できないと同様に、戦争そのものの事実を否定できない自分の認識を語っている。太田氏のすごい所はあらゆる事柄について自分自身との距離感を瞬時に掴んでしまうことだ。

(漫才師が戦争を語ることについて)でも、最近では、それも仕方ないと思えるようになってきた。この時代、戦争をテーマに漫才をするということに、抗えない何かがあった。躊躇しながらもそれをやってみた。それだけである。

使命感なんていう大層なものではない。9・11同時多発テロの影響か、イラク戦争の影響か、何だかわからない。ただ、”テロとの戦争”という戦争は確かに もう始まっていて、だとすれば、今は戦時中ってことになって、この国もその戦争に参加している。とすれば、現在自分がいる場所は、戦場じゃないかと思った ということだ。
(中略)
戦争は確かに愚かな行為だし、それを引き起こした過去の人間は確かに愚かに見えるけれど、かといってその存在を否定できないってことだ。今生きている私 も、過去の人々と同じくらい愚かであることは事実だし、もしその時代に生まれていたら、その人々と同じように歴史の一コマとして戦争に参加する存在であっ た可能性が非常に高いからだ。

これは何十年後かの自分が、現在の自分を見てとても愚かであると感じるだろうけど、でも、決して否定できないであろうということと同じだ。過去の自分が生きたことの結果として現在の自分があるのだから、それを否定できるわけがない。