本日の東京新聞朝刊に、姜尚中東大大学院教授と作家雨宮処凛さんとの「生きる手法~格差と貧困を超えるために」と題した新春対談が二面にわたって掲載されていた。姜氏は戦後日本社会が山谷やあいりん地区などの寄せ場労働者、在日朝鮮人や三井三池闘争での炭鉱労働者など難民を連綿と作り出す社会であったと論じる。一方で雨宮さんは数々の運動を踏まえ、現場から声を上げることで社会は変わる、そして、資本の論理による分断や競争から解放されるような場を作り出すことが大切と述べる。最後に雨宮さんと姜氏は次の言葉で対談を締め括る。先月読んだリサイクルショップ店長松本哉氏の主張とよく似ている。
雨宮:渋谷や新宿で、トラックにスピーカー乗せて音楽をかけ、みんなで踊りながらデモをやっています。五百人で始めると沿道から人が加わり、倍になる。何の意味があるんだろうと言う人もいるけれど、そういう光景を突然路上に出現させること自体が重要だと思う。
姜:日本はこの二十年で都市がこんなにきれいになったけれど、そこに人々を沸き立たせるようなものが途切れて久しい。若者の鼓動が聞こえない。ソウルに行くと、地下鉄に物売りがくる。ニューヨークだと「おれがホームレスになったのはこういう理由だ」と演説をぶつ人がいる。日本は細かいところで順法意識がものすごく強い。僕は食えない人は勝手に物を売ったりとかしていいと思う。社会にもの申すことを根っこから刈り取って無菌状態にしてしまうと、社会が自家中毒を起こし、ひどい結果になります。