月別アーカイブ: 2006年7月

made in South Africa

bumbo

子どもの首が完全に座るようになったので、お坐り用のベビーソファを浦和にある「ビーキッズ」という子供用品のリサイクルショップで購入した。
当初知人から貰ったハイローチェアに備え付けるベルトを買いに行ったのだが、つい鮮やかな原色の物体に目が留まり衝動買いをしてしまった。座らせやすく、かつずり落ちて転んだりしないという代物である。定価は七千円近くするそうだが、中古品ということで千円で買うことができた。裏の記載を見ると南アフリカ製ということである。さぞ大喜びするであろうと子どもを座らせてみたところ、座り心地が悪いのか、虫の居所が悪かったのか、5分もすると顔を真っ赤にしてイヤイヤをしてしまった。子どもの好みは分からないものだ。

オックスモックス

pursejump

今日は30数回目の誕生日ということで、妻から財布をプレゼントされた。数年前に大宮のロフトの文房具コーナーで見かけて気になっていた財布を記憶に留めてくれていたようで、数年を経てのご対面となった。飛んだり跳ねたり躍動的な人々の線画が気に入っていたのだが、よくよく見るとオックスモックスというドイツのアウトドア用品のブランドメーカーが手がけた逸品だということが分かった。自分は一流品を見分ける目があったとひとり悦に入った。

終身刑制度の創設に向けて

本日の東京新聞夕刊に、終身刑の創設を求めてバイクで全国を行脚して署名を集めているイタリア出身のストッキ・アルベルトさんの記事が紹介されていた。ストッキさんは、七度目の出所後も放火を繰り返した元会社員によって、妻と子どもを子どもを失い、自身も火傷を負っている。そして犯人は昨年六月に求刑通り無期懲役が言い渡され一審で刑が確定した。しかし、ステッキさんは、「無期懲役だったので被告は六十歳になる前に仮出獄する。仮出所のない終身刑制度の創設は、悪質な再犯者から社会を守るために必要です」と静かに語る。

ストッキさんは死刑制度を必ずしも全面的に支持しているわけではないということだが、「妻や娘の死を無駄にはしたくない。必ず終身刑の法律をつくります。たとえホームレスになってもあきらめません」と述べる。

署名への問い合わせは電子メール mailto:minervai@rhythm.ocn.ne.jp

『中田語録』

文藝春秋編『中田語録』(文藝春秋 1998)を読む。
昨日から引っ切りなしに、日本を代表するサッカー選手中田英寿の電撃引退がテレビで報道されていたので手に取ってみた。「孤高」とも評される中田氏には高校時代から憧れのチームも憧れの選手もいなかったそうだ。また彼自身一人の観客としてワールドカップを観戦することには何の関心もないということだ。彼はひたすらサッカーというダイナミックなゲームに隠された「解」を求めてプレイを続けた希有な選手である。彼は次のように述べる。

俺、数学とか物理が好きなんです。公式とか法則を当てはめてたった一つの答えにたどり着く。応用を繰り返してさらに合理的に最終結論を導き出す、あの感じが好きですね。サッカーって、数学的に考えるとやりやすい。局面、局面をセオリーで導き出すというふうに

彼の求めるスタイルそのものに非人間的な側面があったことは否定できないであろう。そして彼自身が自分の求める理想のサッカーについていけなかった。29歳という若さでその限界を悟ったのであろう。そして彼は高校を卒業してプロ入りしてすぐに引退後を考え次のようなコメントを残している。自分の人生哲学を実際に10年以上も持ち続けたのだ。

サッカーしか知らない人間になりたくないし、いつも好奇心を持っていたい。俺がサッカー選手として生活するの、あと何年か分からないけど、その先の人生のほうがずっと長いに決まっている。次にどんな仕事をしようか、自分にはどんなことができるのか、いろいろ考えるのって凄く楽しい。

そして、彼が練習で一番時間を割いているのが、最も地味な対面パスだという。海外へ移籍した現在は違うだろうが、細かいボールコントロールを自分の体に徹底して覚えさせるまで、基本を繰り返せという指摘は印象に残った。

派手で美しいプレーを見せようと思ったら、地味な練習を死ぬほどしないと。基本があれば、1を100にだってできるんだから。基本がない選手は、いつか消えていくでしょう。

『建築家がつくる理想のマンション』

泉幸甫『建築家がつくる理想のマンション』(講談社+α新書 2002)を読む。
世界の都市を参考に、マンションの理想を追求する著者が、氏が手がけた3つのアパートを例に、人間にとって住みよい空間づくりを分かりやすく解説する。著者は埼玉県にある東野高校の校舎建設を手がけたクリストファー・アレグザンダーの影響を受け、生活する人間の視点や動線をも意識した建築を数多く手がけている。
著者はドアの内側の私的な空間とも、全く外部の人が往来する公の空間とも異なる、マンションの住民同士が気軽に触れ合えるような中間的な空間こそが、人間にとって高度の居心地を生むと述べる。具体的に言うと、中庭や縁側などの気軽に声を掛けやすいスペースや、格子があって中がよく見えない小さな窓、すだれ越しに見える部屋、奥まっていて外からは見えない部屋などプライバシーを保ちながら、と同時に気配を感じられるような半分開かれ、あるいは閉じた空間が多様にあることが大切なのだ。彼の手がけた3つのアパートともそうした哲学に貫かれており、建てられてから10年経った現在でも空室待ちの状況が続いているということだ。
たしかに、現在の住宅の空間は内と外の二種類しかなく、近隣との付き合いでも、外では声を掛けにくいし、内に踏み込む訳にもいかず、お互いの遠慮が立ってしまう。そうした空間のあり様が人間の心理や生活に大きな影響を及ぼしているという指摘は興味深い。
私自身が、現在引っ越しを考えており、子ども成長過程を思い浮かべながら読んでいった。