月別アーカイブ: 2005年10月

小学校教員認定2次試験

昨日、小学校教員認定2次試験を学芸大学に受けに行ってきた。
朝9時から夜8時近くまで拘束され、一日がかりの試験となった。懸念だったピアノの試験だが、音楽家然とした3人の年配の試験官を前に、下手くそな「ふるさと」を演奏してきた。評価うんぬん以前に、私の稚拙な演奏と音程の外れた歌を聞かせるなど何か非礼な行為をしているのではないかという思いに囚われた。課題曲は何度も練習したのだが、一ヶ所弾き間違えてしまった。一緒に同室した他の3人の女性受験生との歴然としたレベルの違いを実感した。また体育の表現は「身近な自然や日常生活の中から題材を見つけ激しい動きを付けて表現しなさい」というテーマであった。私は「壊れていくおもちゃ」というテーマでテキトーにアドリブで踊ってきた。国語の論述が大学生時分の試験さながらのごまかしのきくありきたりな問題だったので、何とかいけるのではないかという淡い期待を持っている。

『裸の王様』

ビートたけし『裸の王様』(新潮新書 2003)を読む。
いかにもタケシのべらんめいの語り口を真似たゴーストライターによる著書という趣だ。政治や中国、一夫一婦制などの社会問題を、ちょっと斜に構えた視線で切っていく。どこかの大学のひねくれた非常勤講師が、ビートたけしの名を借りて社会に物申すといういかにも週刊新潮の右派調コラムのような内容となっている。1時間程度の暇を潰すにはちょうどよい。

『世紀末国語教育論』

大平浩哉『世紀末国語教育論』(有朋堂 1995)を読む。
国語における表現活動と自己学習力を目玉にした前回の学習指導要領の解説とその成立の背景について分かりやすく語っている。ただ一つしかない正解に向かって教師が一方的に解説を施すだけの授業のあり方を否定し、グループ学習やディベートを含めた音声言語の学習指導の充実こそが旧弊を打開する道だと説く。
著者は私が学生時代に「書写指導」でお世話になった先生の本である。元々高校教諭を経て、文科省の初等中等教育局にいた役人で、専門は国語教育法であるにも関わらず、習字の指導法も教えていた芸達者な人である。教科書一式を風呂敷包みで持ってきて、指を舐めながらプリントを配る昔ながらの国語教師であった。

『蝉しぐれ』

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わざわざお台場まで、黒土三男監督・市川染五郎主演『蝉しぐれ』(2005 東宝)を観に行った。
邦画の時代劇はあまり観に行ったことがなかったので期待して出掛けたが、期待が大きかった分だけ損をした気分だ。まずもってセリフが現代語と古語が入り交じっていて、どうしても役者の言い回しが気になって内容にのめり込むことができなかった。「それがし、○○でございまする」といういかにも時代がかったセリフがあったかと思えば、「よし、俺も行こう」だの、「わたし、××です」といった全くの現代語のセリフが続き、ちぐはぐ感が否めない。お笑い芸人を出演させ、観客動員を増やそうという意図は分かるが、それで作品の世界観が壊れてしまっては元も子もないだろう。
また、話の展開も子ども時代のほのかな恋心を大人になっても持ち続けるという純愛が基底にあるのだが、映画だと子どもと大人で配役を替えざるを得ず、その間の時間的な推移もあまり描かれておらず、純愛を貫いたラブストーリーという点でも失敗している。

『チャーリーとチョコレート工場』

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さいたま新都心へ、ティムバートン監督・ジョニーデップ主演『チャーリーとチョコレート工場』(2005 米)を観に行った。
チョコレートのおまけのゴールデンチケットを手に入れた5人の子どもが、世界中から愛されているにも関わらず従業員が誰もいないという摩訶不思議なウォンカチョコレート工場に見学に行くというファンタジックなストーリーである。ジョニーデップは前作『ネバーランド』で子どもへの惜しみない愛情を送るシリアスな父親役を演じていたが、今回は一転して家族愛を否定するコミカルなチョコレート工場の創業者に見事に扮してる。前作と合わせてみると役者としての幅の広さを堪能できるはずだ。また内容も子どもたちと一緒にディズニーのアトラクションに入ったような錯覚を感じることができ、単純に楽しむことができる。