山岸駿介『受験:その光と陰』(教育史料出版会 1990)を読む。
今から15年以上前に出版されたちょっと古い本である。朝日新聞の記者である著者が、80年代後半の証券・土地バブルと時期を同じくして膨らんだ受験業界について、私立学校、国公立学校、塾予備校のどの陣営にも肩入れすることなく、丁寧な取材を試みている。私たちはついつい受験産業というと、「学校vs塾」「私立vs公立」という二項で括ってしまいがちである。しかも、受験勉強一本やりの私立や塾では人間性が疎外され、ゆとりと多様性を持った公立でのんびり過ごすことで人間性が養われるといったお決まりの論調に雷同しやすい。
しかし、様相は複雑で、例えば他県に優秀な生徒が流れるのを防ぐために、県教委が県内の私立学校立ち上げに際して公立の実績ある教員を送り込んだり、私立や中小の塾に生徒を持っていかれないように、公立学校と大手予備校が提携したりすることは日常茶飯事のようである。また、共通一次からセンター試験への移項に伴う混乱とスピード化に伴って、予備校が受験生の志望校判定だけでなく、大学側の辞退率を見込んだ合否のラインの線引すらも握ってしまった話は、理詰めで詰めていく探偵とがむしゃらに逃げる犯人の推理小説のようである。
受験競争の弊害を指摘する事は易しい。しかし、子どもの進路を全く抜きにして教育を行なうことはできない。また、競争やハードルのない環境で人間性を陶冶するのは大変に難しい。その難しさをどう受け止めればよいのだろうか。
『受験:その光と陰』
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