久保田武『校長がかわれば学校が変わる』(夏目書房 1997)を読む。
教育困難校の汚名を負っていた都立羽田高等学校(現都立つばさ総合高校)の校長として赴任した著者が、「入りやすい学校から入りたい学校へ」のスローガンを掲げ、清掃指導の徹底やコース制の導入など先陣を切って改革を進め、魅力溢れる学校づくりに献身的に取り組んだ経緯が綴られている。
これまでの教育の荒廃の原因は、猫の目的な政策しか打ち出せなかった文科省や硬直化したスローガンから逃れられなかった革新系組合のせいではなく、年齢や職歴による順送りの人事制度に固執する愚鈍な校長会にあったと批判を投げ掛ける。採用や昇進の段階で役人や一般教員は一応能力による選抜が行われるが、校長会は旧帝大や筑波大の学閥で固められている。そうした影響もあってか、少しでも偏差値の高い学校への異動を目論み、自校の教育に関心のない政治屋的な校長が生まれたり、文科省や都道府県の役人の言うことは聞かず、さりとて組合所属の教職員も説得できない校長が出てきてしまったと分析する。教育委員会の幹部が、校長会をないがしろにして、組合の幹部と内密に話し合うということもよくあるようだ。出世に勤しむ管理職や権利ばかりを主張して憚らない怠慢教師の増加が公立学校の質的低下に繋がっているという指摘には共感できる部分が多い。しかし、こうした議論の先にはいつも「教育とは何か」という永遠の命題が待ちかまえているのだが……。
『校長がかわれば学校が変わる』
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