月別アーカイブ: 2005年2月

『The Juon』

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昨日さいたま新都心へ清水崇監督『The Juon』(2004)を観に行った。
これまで公開された『呪怨』日本版のリメークであるが、音楽や恐怖シーンの登場など、怖さはより倍化されている。しかし、惨殺された女性の呪いが登場人物にとりつき命を奪うという内容で、最後のエンディングまで何らの解決もみられず、作品に「救い」が全く見られない。。。

『レフト・アローン』

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昨日、渋谷のユーロスペースへ、井土紀州監督『レフト・アローン』(2005)を観に行った。
六全協の頃の共産党運動を経験した松田政男氏や60年安保当時東大の共産同の活動家であった西部邁らに、文芸評論家である糸圭(すが)秀実氏がインタビューするという形で話は展開していく。
糸圭氏は、教条主義に陥った共産党に対して、1956年のスターリン批判を契機に生まれ、あくまで実力行動主義を貫こうとする新左翼運動を評価する。しかし60年安保や68年全共闘運動と、2001年の早大地下部室運動がどのような形で繋がっているのか理解できず、ただ、人間的なものを捨象してしまった左翼運動には興味がなくなってしまったよという西部邁氏の発言のみが光る内容となっている。パート2に期待したい。

『竹中教授のみんなの経済学』

竹中平蔵『竹中教授のみんなの経済学』(幻冬舎 2000)を読む。
勉強しない大学生を対象とした参考書の体裁をとっている。現在の日本は個人の1400兆円にも上る貯蓄が滞っているから経済の停滞を招いており、株式投資や投資信託などを利用し資産を運用せよと、読者に滔々と啓蒙を試みる。徹底した古典派経済学者で、自己責任を原則として個人も銀行も市場に全てを任せることでうまくいくと断言する。自民党族議員からも社民、共産党からもそっぽを向かれるような政策であり、ピエロ的立場で旧自由党を中心とした民主党右派勢力の政策の代弁者となっている。現在も小泉政権の中で金融・経済財政政策の内閣府特命担当大臣を務めており、弱肉強食の殺伐とした社会を目指す小泉政権の象徴的存在となっている。

余談であるが、最近ベンチャービジネスで成功したビジネスマンの自宅や豪勢な暮らしを取り上げるバラエティ番組が多い。公園の片隅で暮らす野宿労働者を強制的に排除する一方で、年収数億円のビジネスマンをありがたがるような風潮はテレビ番組とはいえ気味悪いものを感じる。

『ヘッジファンド:世紀末の妖怪』

 浜田和幸『ヘッジファンド:世紀末の妖怪』(文春新書 1999)を読む。
 グローバリズムの流れに乗って国際的なデリバティブ商品を扱うヘッジファンド集団の活動の実態に迫る。ちょうど三国志と落合信彦の昔のインチキ本を読んでいるような興奮があった。数年前のアジア経済危機を演出したとされるジョージソロス氏に焦点を当てながら、実態経済と乖離した「カジノ資本主義」と読んでもいいような国際経済の現状を暴き出す。1999年代後半の日本を始め、タイ、韓国、香港、ロシアの経済危機の原因はアメリカを中心としたヘッジファンド集団による詐欺的な金融操作とされている。しかし、ヘッジファンドの代名詞ともなったジョージソロス氏に、イギリスのロスチャイルド家やフランス、ドイツの大手銀行が資金提供を行っているようである。そして、ちょうど97年のアジアの経済危機は、未曾有のヨーロッパの経済好転と時期を同じくし、翌98年には、ドイツやイタリアを始め全11か国全てが統合基準である財政赤字3%を達成する結果となった。ドルに対抗するためのユーロの創設に際して、アジア経済が犠牲となったと言っても良い。

 著者はそうしたヘッジファンド集団と欧米の大手銀行による金融操作の影響を免れるには、日本と中国が中心となって基軸通貨を作ることと、人とモノの流通を媒介する実態経済に戻すことを提案する。

『貧乏議員 国会「イビリの掟」を笑う』

川田悦子『貧乏議員 国会「イビリの掟」を笑う』(講談社 2002)を読む。
薬害エイズの被害者である川田龍平の母親で、2000年の秋から3年間衆議院議員を務めた著者による国会奮闘日記である。ちょうど小泉総理の首相指名投票や田中真紀子外相の更迭などの時期と重なっており、自民・公明両党と民主党による二大政党制が模索されていた時期で、女性でありしかも無所属議員の悲哀さを描く。

しかし、著者は「私は国会の『イビリの掟』に屈しません。みんなで、『永田町の掟』をぶっこわしましょう!」と明るくまとめる。田中真紀子議員の堂々とした姿を無批判に称えているのが気になるが、また機会が議員にあればチャレンジしてほしいものである。