伊藤美奈子『スクールカウンセラーの仕事』(岩波アクティブ新書 2002)を読む。
中学校の非常勤のスクールカウンセラーである著者の専門的でかつ素直な視点から子どもや学校を取り巻く状況を分析している。特に以下の「むかつく」から「キレる」という語の分析が興味深かった。
少し前の若者の間に流行った「むかつく」という表現、そして最近の中学・高校生たちの日常語となっている「キレる」という言葉に象徴されるように、子どもたちの苛立ちは頂点に達しつつあります。教師や親など、自分に正論を唱えるおとなに対して、子どもたちは「むかつく」という言葉で、わけのわからないイライラを吐き出しました。心の中にわだかまるストレスをうまく表現できない子どもたちにとって、この「むかつく」という一言は万能的な(あらゆる気持ちを含みこむような)意味を持っていたといえます。ところが、一時代が過ぎ、「むかつく」は「キレる」に取って代わられることになりました。無造作な形であれ「むかつき」を溜めることができていた子どもの心の貯水池が、ついに干上がってしまったのでしょうか。イライラやモヤモヤは心の中で反芻されることなく、原型のまま外に放り出されることになりました。放り出されたイライラはそのまま他者に向かいます。最近多発している子どもたちの問題の数々は、この原型のままの攻撃性が引き起こした事件であるといえるでしょう。
そして、孤独であることの不安を次のように述べる。携帯電話がこれだけ普及した現在、逆に中学生や高校生の抱える孤独に対する不安は私たちの世代以上に大きくなっているはずである。
自分自身を見つめ自分らしさを発見するには「孤独な時間」が必要です。孤独は寂しさや辛さを伴いますが、独りになることで本当の自分に直面し、ありのままの自分に戻るための契機を提供します。
しかし情報化社会といわれる今、独りになることはきわめて難しくなっています。自分の世界を作りたいと思っても、新しい情報が次々と流れ込み、自らの五感でじっくり味わいながら選びとっていくという体験が減りました。人の目にさらされながら、素の自分でいるというのは至難の業です。他方、独りでいると「嫌われ者」と思われるのではないかという不安が先走り、独りの世界に閉じこもることもできません。独りの世界を作るには、周りに影響されないだけの強い自我が求められます。しかし、その自我が育っていないため、そのもろい自我を守るための「鎧」が必要になるのです。適当に距離を保ちながら、互いの気持ちには踏み込まない……、そんな友人間の距離(心の隔たり)は「鎧」の役割を果たしているのかもしれません。
子どもたちの「疲れた」というつぶやきは、内面的な成長をもたらす「孤独」とその成長を支える「本当のつながり」が、子どもたちの世界から消えつつあることを示唆する危険信号であるとも考えられます。この子どもたちに、「ぶつかっても大丈夫」という基本的な信頼感を持たせるためには、人間同士の暖かいふれあいを積み重ねることが必要です。そして今、子どもと真のぶつかりあいができているのか、われわれおとな自身が真剣に問い直すべき時期に来ているのではないでしょうか。