坂本忠芳『「新しい学力観」の読みかた』(労働旬報社 1993)を読む。
臨教審の流れを組む新自由主義的な教育観と日本人としてのあるべき姿の「道徳」を重んじる保守的な教育観の二つの流れを受けて作られた、歴代最もどうしようもない1989年改訂の学習指導要領を批判的に論じた本である。89年の学習指導要領は教育内容を厳選し、「生活科」など旧来の知識詰め込み型の教育を脱し、「関心・意欲・態度」を伸長させることを主眼に置いている。
しかしそうした管理的な「態度重視」教育は、できる子はできる子なりに、その能力を現在の体制が要求する方向に、すなおに能動的に行使する子どもを生み出し、「労働力の再編成」の中で、子どもの選別のハードルに用いられると作者は危惧する。
今日の国際社会の中では、「関心」や「意欲」や「態度」こそが労働力として、また、大国日本を支える力として、たいへん大事になっってきているという認識がそこには働いています。労働力についていえば、「関心」や「意欲」や「態度」は労働力そのものだという考え方がそこにはあります。いままでは「知識」や「技能」が、やがて生きて働く労働力の基礎なのだと思われていました。それも大事だけれども、そういうものだけではだめだと考えて、臨教審の提唱する「自己学習力」や「自己教育力」、さらに進んで「関心・意欲・態度」の重視という方向が、はっきりと打ち出されてきたと思うのです。
作者は「子どもらしい人間らしい生活力と学力をつけることのできる地域と学校とを、親と教師が今日の学校の管理主義とたたかいながら、共同してどのように創造していくか、という展望のなかに位置づけなければならない」とし、模索すべき教育の方向として次のような私見を提案する。現実性はさておいて、一度は意識しておいてよい意見である。
おとなが一方的に用意したものにたいして、子どもにどう等しく到達させるかなどというような、非常にかたくてせまいこれまでの学習と評価の考え方から、一回は解き放たれて、いったい子どもは何を考えているのかを根源的に考えるような、おもしろい教材や発問を、おとなが逆に子どもから学び、子どもから啓発を受けながら、一つひとつの教材を具体化していくということが、これからは決定的に大事になっていくと思うのです。
一つひとつの学習、たとえば「1+1=2である」ということをわからなければならないのはなぜか、なぜこんなことを勉強するのかということは、結局、この地球のなかで地球を存続させ、そして世界中の人たちがともに権利を主張しながら、同時に生きるというのはどうしてか、ということと関係しているとも思うのです。
人間は同時存在性というものを本質に持っていて、暴力や戦争に依拠しないで、平和を維持しながらみんながともに生きていくというところに問題を凝縮する。そういう意味で、最低限必要なものを徹底的に厳選すると同時に、あらゆる教材を選ぶときに、あるいは評価のためのテストをつくるときに、学習活動のなかでこういう「根源的な問い」を子どもたちが発するように工夫していくことが重要ではないかと思います。今日の学力問題を、”地球が存続できるかどうか”という課題に凝縮すべきだと思います。たとえば宇宙の中で地球という「自然」が、いま存続できるかどうかという問題に、すべての基礎・基本の問題を凝縮させていくといったことを考えるのです。そして、そのことを、現代の日本人の生き方の問題として考えていく必要があると思うのです。