鈴木隆弘「『楽しい』授業の隘路」(『現代思想』2004年4月号)を読む。
鈴木氏はこれまでの画一化教育を支えてきた「教員→生徒」の一方的な知識注入型の学びのスタイルや、障害者や在日外国人、被差別部落などの差別問題に対して「差別しない心を持とう」といった現実捨象型の解決策提示の人権教育が限界を来していると指摘する。
「正しい答え」があるというような従来の教育では、新しい差別問題が発生するたびに、その具体的内容について教えなければならなくなってしまう。しかし、そういうことは果たして可能であろうか。予想困難な事態に対して子どもたちを無防備に晒すわけにはいかないけれども、従来の教え込み型の授業では予想不能の問題に対処する、そのような能力を身につけさせることができなかった。だから、自ら差別を許さず、立ち向かい、解決する「能力」を身につけさせる教育が必要になったのである。そこから「動機付け」「行動させるための技能」といったものを重視するようになった。
鈴木氏が引用の後半部分で述べる「解決する能力」「動機付け」は1998年施行の学習指導要領改訂の目玉であり、「新学力観」に基づく「総合的学習時間」の前提をなすものである。昨年10月の中教審答申「初等中等教育における当面の教育課程及び指導の充実・改善の方策について」の中では、「主体性溢れる問題解決能力=生きる力」を育む上でのポイントについて次のように述べられている。
子どもたちが…@知識や技能を剥落させることなく自分の身に付いたものとする、…Aそれを実生活で生きて働く力とする、…B思考力・判断力・表現力や学ぶ意欲などを高める等の観点から、知識や技能と生活の結び付きや、知識や技能と思考力・判断力・表現力の相互の関連付け、深化・総合化を図ること
しかし、鈴木氏は
単なるプレゼンテーションをして「楽しい」授業を実践するだけの昨今の「綜合学習」的な授業スタイルは、「教室の学び」に「参加」を促すだけであり、社会への参加につながらないと述べる。そして真の参加型教育−社会変革のために行動していく主体性の育成−について以下のように結論づける。
地域の課題と向き合い、政治的にも解決することを通じて、子どもの社会化や自律を促進するための社会参加、社会全体の変革のための社会参加、学校教育変革のための参加の全てを通じて育成される、政治参加への意識と能力を育てることが重要である。そのためには、教育目標にある政治性を抜き去ろうとするのではなく、むしろそれを明確にして、教員は、学校、そして社会全体に対して、子どもたちが継続的にアプローチするための支援をしなくてはならないのではないか。そのように社会に「参加」して初めて、「参加」するスキルが身に付くのではないだろうか。
鈴木氏自身「参加型授業」のモデルを提示することはしない。