明日の9日の衆院選の日に、パレスチナのNGOが「アパルトヘイト・ウォールに反対する国際デー」を呼びかけている。
先日東京新聞でも特集されていたが、イスラエル政府の手によって、まさにドイツのベルリンの壁と同じほど俗悪な、パレスチナとイスラエルを分割する壁が建設されている。しかも単に国土を分けるだけでなく、過去のユダヤ人居住区(ゲットー)よろしく、パレスチナ人を一定地域に閉じ込めるための国家的な人種差別の壁である。南アフリカの人種隔離政策になぞらえ、「アパルトヘイト・ウォール」と名付けられている。このアパルトヘイト・ウォールの建設中止を求める国連安保理の決議は米国が拒否権を行使したことで終わった。しかし、10月21日に開催された国連緊急総会の場で、「壁」の建設中止と撤去を求める決議が賛成144反対4[米国、イスラエル、ミクロネシア、マーシャル諸島]棄権12で圧倒的支持を得て可決されたとのことだ。しかし、それを受けてもイスラエル政府は、国連決議を無視して「壁」の建設を続行すると表明し、各国から非難を浴びている。
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『侏儒の言葉』
芥川龍之介『侏儒の言葉』(岩波文庫1932)を読む。
芥川ならではの箴言集である。薄い本であったが、久々にくすっと笑ってしまう本であった。彼の芸術および社会に対する批判的な視座がかいま見え、彼の人生観そのものが底流に流れている。そのアフォリズムの一部を紹介しよう。
道徳は常に古着である。
強者は道徳を蹂躙するであろう。弱者はまた道徳に愛撫されるであろう。道徳の迫害を受けるものは常に強弱の中間者である。
好人物は何よりも先に天上の神に似たものである。第一に歓喜を語るのによい。第二に不平を訴えるのによい。第三に――いてもいないでもよい。
最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながらも、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。
自由思想家の弱点は自由思想家であることである。彼は到底狂信者のように獰猛に戦うことはできない。
彼は最左翼のさらに左翼に位していた。したがって最左翼をも軽蔑していた。
そして、1927年すなわち芥川の自殺した年に最後の箴言が書かれている。
眠りは死よりも愉快である。少なくとも容易には違いあるまい。
「世界平和の脅威となっている国」
本日の東京新聞朝刊によると、欧州連合(EU)が3日公表した域内市民対象の世論調査で「世界平和の脅威となっている国」に最多の59%の人がイスラエルと回答し、2位は同率で米国、北朝鮮、イランだったとのことだ。安倍自民党幹事長がしきりに「北朝鮮問題があるのに、日本が米国に代わって極東の安全を守れるか」と日米同盟の堅持、沖縄在日米軍基地の積極的な役割を訴えるが、平和の脅威となっている米国との同盟を前提とすること自体の危険性も客観的に分析していく必要がある。
『遠野物語』
柳田国男『遠野物語』(新潮文庫1973)をかいつまんで読む。
「オシラサマ」や「ザシキワラシ」「川童」など、今夏のツーリングの際に、遠野の駅の観光客向けの語り部の女性から拝聴した話を読んでみた。昔話と言っても、当時柳田と交遊のあった佐々木喜善の祖母の話であったり、具体的な地名が出て来たりと、江戸末期から明治にかけての田舎のリアルな生活が舞台となっているので、神話と現実が入り交じった妙な感覚を覚えた。
『天皇の影法師』
猪瀬直樹『天皇の影法師』(新潮文庫1983)を読む。
大正天皇が亡くなってから新しい「昭和」の元号が生まれてくるまでのドラマを克明に追ったノンフィクションである。一説によると大正天皇死去すぐに、東京日日新聞社(現毎日新聞社)が「光文」といち早く報じてしまったために、漏洩という事実を隠すために元号を変えたということだが、真相は闇の中らしい。
猪瀬氏は鴎外が死の直前まで元号に情熱を傾けて取り組んでいたことに着目している。私にとって鴎外と元号とは少々意外な組み合わせである。しかし鴎外は晩年『混沌』という作品のなかで次のように述べている。
今の時代では何事にも、Authorityと云ふやうなものが亡くなった。古い物を糊張にして維持しようと思つても駄目である。Authorityを無理に弁護してをつても駄目である。或る物は崩れて行く。色々の物が崩れてゆく。
鴎外は「万世一系」が虚構にすぎないことを知っていた。しかし鴎外は『青年』で展開した「利他的個人主義」という自立した個人が生きて行くための共同体を形成していくには、封建的な社会ではなく、近代的国家という枠組みを作って行かねばならないと考えていた。そして国家という形式を支えるためには諸制度・諸法規とともに、共同的存在の証のための「神話」が必要である。鴎外は国家を機能として捉え、自分自身は信じていない天皇制国家を個人の自立の母体として機能させようとした。そのために元号すらきちんと整備されていない国家を形式において”完成”させようと死の間際まで苦闘したのであった。