武者小路実篤『友情』『芳子』『小さき世界』『母としてのわが母』『土地』『ある日の一休』を読む。
男の想像中でどんどん理想化されていく女性とのほのかな出会いを描いた『友情』は、当時は斬新な恋愛小説として読めたのだろうが、「ストーカー規制法が成立した現在においては少し歪んだ見方をされてしまうのであろう。
『友情』
コメントを残す
武者小路実篤『友情』『芳子』『小さき世界』『母としてのわが母』『土地』『ある日の一休』を読む。
男の想像中でどんどん理想化されていく女性とのほのかな出会いを描いた『友情』は、当時は斬新な恋愛小説として読めたのだろうが、「ストーカー規制法が成立した現在においては少し歪んだ見方をされてしまうのであろう。
花粉症がひどくなってきたので、外に出るのが少々つらい。洗濯物を干しただけで目がかゆくなってしまう。
吉本ばなな『キッチン』(福武文庫)を読んだ。
「希薄化された家族像」といったような主題がふと思い浮かぶが、あれこれと評論を差し挟むのは無粋であろう。
作者のゼミの担当であった曽根博義氏の、作者と大宰治との共通点の指摘が興味深かった。大学時代に理解に苦しんだ源氏物語における「草子地」論のような小難しい文学論理も、曽根氏のように分かりやすく説明してくれたらよかったのに。
語り手の「私」は、作中人物の「私」と読者の間に立って、一方で作中人物の「私」に寄り添って物語を展開しながら、他方、しばしば、その物語の世界から、我を忘れて物語を追いかけている読者の方に向き直って、読者に親しく話しかけ、物語と読者の間をうまくつないでくれるのだ。作中人物がじかに語りかけるのではない。同じ「私」でも、作中人物の「私」とはその都度微妙に区別され、作中人物と物語の世界を十分に客観化している語り手の「私」が、その仲立ちをしてくれるのである。