鈴木邦男『闘うことの意味』(エスエル出版会)を読む。
日本の格闘技界にまだグレイシー柔術のアルティメット旋風が吹き荒れる前の93年発行の本である。佐山サトルや景山民雄、河内家菊水丸らとの対談集である。この中の夢枕獏との対談の中で、まだアルティメット大会に出る前の大道塾の市原海樹選手の話が気にかかった。私は夢枕獏を大学に入ってから知ったので、大道塾に理解のある作家という認識しかなかったが、この対談を読む限りでは、夢枕氏が自らの作品世界にリアリティを与えるために、格闘技を利用したに過ぎないのではないかと思わざるを得ない。
ここから先はいささか論が逸脱するが、プロレスについての最強論や真剣勝負論は天皇制の議論と近いものがある気がする。プロレスはリアリティの曖昧なスポーツであるが、それ以上に観客がリアリティを希求する世界である。レスラーの体型や試合運び、技の一つ一つをとってもその賛否が取り立たされる。また猪木や大仁田があれほどの人気を見せ、「殺せー」というかけ声が会場を飛び交うのはプロレスだけである。それほど観客はプロレスの世界に「真なるもの」を見ようとする。しかしこれらは翻ってみて古来より天皇制に見られた議論と同じものではないか。古事記や日本書紀による神格化と系統性が重んじられる天皇制につながっていくようなプロレス論には注意した方がよい。