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『ミッドナイト・イーグル』

midnighteagle_movie 〈ミッドナイト・イーグル公式ホームページ〉

高嶋哲夫原作・大沢たかお主演『ミッドナイト・イーグル』(松竹 2007)をララガーデンへ観に行った。
一言で感想を述べるならば、壮大なスケールと結末の予想できないテンポのよい場面展開の上で繰り広げられる、つまらない深夜ドラマといった感じだ。
自衛隊と北朝鮮?の工作部隊の銃撃シーンでは、自衛隊一個中隊が壊滅してしまう中、新聞記者は不思議と銃弾がかすりもしない。また、秘密を握る工作員が亡くなるシーンでは、死際に友人の腕に抱かれながら秘密をうわ言のように呟いてガクッと倒れてしまうなど、いかにも20年前の安っぽい刑事ドラマが描かれる。他にも自衛隊の装備の?や内閣危機管理室の?などのシーンで、何度も心の中でツッコミを入れていた。
見終わった後、映画という表現媒体そのものの限界すら感じた。おそらく原作は寒さと吹雪で視界が真っ暗な中で繰り広げられる銃撃戦の恐怖を読者の限りない想像力に委ねるのであろう。その舞台では暗闇の中で、目に見えない相棒と敵に囲まれた不安やしかし、映画では夜の冬山という設定にも関わらず役者にはライトが照らされ、

途中で文章が頭の中がこんがらがってまとまらなくなった。今週はめちゃくちゃ忙しかった。いや、今週「も」忙しかった。明日の日曜日はゆっくりと休みたい。

P.S.
先程、この雑記帳の検索窓で原作者高嶋哲夫氏を検索したところ、6年前に高嶋氏の『塾を学校に』(宝島新書 2000)を読んでいた。教育論から、ノンフィクション、そして今回のようなハードミステリーに至るまで幅広いジャンルをカバーしている多芸な作家である。

『ボーン・アルティメンタム』

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マット・デイモン主演『ボーン・アルティメンタム』(米 2006)を観た。
今日も子どもをお風呂に入れてから、ララガーデンのユナイテッドシネマへすっ飛んだのだが、車で10分のところに映画館があるというのは未だに夢のようである。映画館のすぐ側に住んでみたいというのが中学生の頃の私の夢でもあったので、嬉しい限りである。

今日も特に何を見ると決めていたわけではなく、ネットで映画館の本日のスケジュール表を見てもあまり面白そうなものはなかったので、いつも映画を選ぶ際に参考にしている「Movie Walker」 というサイトの「見て良かった」というランキングの上位に上げられていた作品をたまたま観に行った次第である。

この『ボーン・アルティメンタム』という作品はシリーズ物で、この作品が3作目の完結編ということであった。しかし、そんなことはつゆ知らずに観たのだが、ストーリーも単純で、主役のマット・デイモンが結構オジサンなのだが恰好良くて、非常にテンポのよいワクワク作品であった。正統派のハリウッドアクション映画といったところか。後半のアクションシーンでは、マット・デイモン演じるジェイソン・ボーンの、アーノルド・シュワルツェネッガーのターミネータばりのあまりの超人的な活躍に少々の違和感を感じたが、最後の最後まで飽きさせない仕掛けが施されている。

エシュロンの恐怖が

『ALWAYS 続・3丁目の夕日』

先程、子どもをお風呂に入れてから、春日部のララガーデンへ映画を観に行った。9時半にお風呂から出て、慌てて車を飛ばして、9時50分には映画館のシートに座っていた。ふと思いついて映画を観ることが出来るというのは最上の悦びである。文庫本片手に思いつくままに映画を観るという、子どもが生まれる前の自分の休日の過ごし方が少しずつ出来るようになって嬉しく思う。

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山崎貴『ALWAYS 続・3丁目の夕日』(東宝 2007)を観に行った。
前作ではサブ的な登場人物であった吉岡秀隆演じる茶川竜之介とその家族を中心として、彼の芥川賞受賞を巡って交錯する暖かい人間模様描く。高度経済成長のシンボルである東京タワーやまだ完成していない首都高速が、『アルプスの少女ハイジ』の「アルムのもみの木」のように、明るい将来に向かって努力を続ける人間達を優しく見守り続ける。感動的な音楽と相俟って、涙が半分ほど瞳を濡らしてしまった。
しかし、おそらくはこの続編を活字だけの小説にしても全くつまらない駄作にしかならないであろう。また主役を別の人間が演じても興ざめであろう。この映画は役者吉岡秀隆さんで決まりである。彼の涙が観客の心を打ち続ける。彼のぼさぼさ髪に顔をくしゃくしゃにした演技の右に出るものはいないだろう。

□映画『ALWAYS 続・3丁目の夕日』公式ページ□

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』

eva_movie『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』公式サイト

庵野秀明監督『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(2007)を観に行った。
久しぶりに映画だったので日常のストレス解消になった。映画館は日常から切り離され作品世界に没頭できるのがよい。内容的にはテレビ版の第8話くらいまでのダイジェスト版であった。父親との再会や使徒登場など重要な場面場面をつないでいてくイメージ映画のような内容であった。私自身は数年前にテレビを2回くらい通しで見ており、さらに解説本も読んでいたのですんなり話についていけたが、何の前提知識もなく初めて観た人はおそらく展開がさっぱり分からない映画であっただろう。

『夜と霧』

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明日から遠藤周作の『カプリンスキー氏』というアウシュビッツ強制収容所をテーマにした短編集を授業で扱おうと、家で少し予習をした。どうしても活字だけだとあのアウシュビッツの惨状が説明できないので、映像を参考資料にしようとアラン・レネ監督『夜と霧』(1956 フランス)というDVDを借りてきた。V.E.フランクルの同タイトルの本が有名だが、こちらも当時の貴重な映像が残されており、観るもの全てに、戦争がこれほど恐ろしい冷酷な人間を創り上げるのかと惨憺たる思いにさせる。最後のナレーションが印象に残った。さて私たちは何をすればよいのか。

戦争は終わっていない
今、点呼場に集まるのは雑草だけ
“都市”は見捨てられた。
火葬場は廃虚に、ナチは過去となる
だが、九〇〇万の霊がさまよう
我々の中の誰が、戦争を警戒し、知らせるのか
次の戦争を防げるのか
今もカポが将校が、密告者が隣にいる
信じる人、あるいは信じない人
廃虚の下に死んだ怪物を見つめる我々は
遠ざかる映像の前で、希望が回復した振りをする
ある国の、ある時期における特別な話と言い聞かせ、
消えやらぬ悲鳴に耳を貸さぬ我々がいる