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「環境問題を考える-砂漠化を防ぐために-」

本日はNGO緑の協力隊関西澤井隊の澤井敏郎代表の講演「環境問題を考える-砂漠化を防ぐために-」を聞きに行った。
日本語で砂漠と書くと、「石が少なく水が莫い」と書くが、中国語では沙漠と「水が少なく、水が莫い」と表記する。日本で砂漠というとサハラ砂漠のように砂の平原を思い浮かべるが、植物の生育が厳しい年間降雨量250ミリ以下の沙漠は地球上の三分の一に及ぶという。そして一度沙漠化した地域には人間が住まなくなり、一層沙漠化が進行するという悪循環が世界中で起こっている。そのために植林が有効であるという。「植林」と聞くと何か途方もない労苦のように捉えがちであるが、水をよく吸収する素材と一緒に植えることで、すくすくと成長し、数カ月単位で効果が表れてくる。

話を聞きながら田中康男の「脱ダム宣言」を思い出していた。「木を植える」ということはつい最近まで数百年単位のことであった。名園の松や屋久島の杉など下手すれば千年という時間を私達に提示する。だが生理用品やおむつにも使われている水分吸収剤を用いれば数カ月単位になるという事実は、「悠久の」という枕詞で形容してしまう日本人の自然観そのものを変えてしまうだろう。そうなると何も手を加えないだけの自然保護運動は再考を迫られるだろう。

トトロのふるさと財団

meitotoro

先日仕事の関係で、狭山丘陵でトラスト運動を行っている「トトロのふるさと財団」へ出掛けた。
都心に近い狭山の里山を開発から守るために活動している財団で、非常にこころよく迎えてくれ、狭山の開発の経緯やトラスト運動の始まりについて話を聞くことができた。単に自然を守ろうというスローガンを掲げるだけでなく、実際に狭山丘陵でうどんを作ったり、下草を刈ったりと自然に触れることで、自然の可能性を体感する行事も数多く手掛けている団体である。また環境学習も行っており、教育現場で是非活かしてほしいという。言いふるされた諫言であるが、テレビや教科書で学ぶこと知識以上に、自然から学ぶ体験は多様で意義深い。今流行りの環境を学ぶ教育ではなく、環境から学ぶ教育の在り方を考えてみたいと思う一日であった。

しかし聞くところによると、狭山のトラスト運動は、早稲田大学の人間科学部キャンパスが建設される際のむやみな森林伐採に反対するために立ち上がった運動を起源とするらしい。早大の人科は西武資本が後押しとなって、「創立100周年記念事業」として開設されたものであるが、不正入試事件を隠ぺいする意図が隠されており学内でのコンセンサスが充分に得られないままの出発であった。地域から愛されない教育機関は小学校から大学、専門学校を問わず不幸である。

それにしても、そもそも早大人間科学部は「多様な人間存在そのものの解明、人間と人間をとりまく自然環境や社会環境あるいは技術・情報環境との複雑な関係の解明という、人間研究の総合的なアプローチ」を目指した学部である。しかし、そうした学問を教育研究するためのキャンパス開発に対する反対運動の中に人間性の回復の原点があるというのも皮肉な話である。

ブックトークの原稿

本日で司書教諭の講習が終了した。結果は10月ということなので、楽しみに待ちたい。講習中行ったブックトークの原稿を紹介したい。

ブックトーク

  1. タイトル:戦争について考えよう
  2. 対象:中学一年生  試演時間 十五分
  3. ねらい:ただ事実を並べ年号順に出来事を暗記するだけでなく、写真や評論や絵本を使いながら戦争を多角的に捉えてみる。
  4. 展開(シナリオ)

紹介する本             ポイントになる言葉・その他

  1. 野村昇司作『羽田 九月二十一日』(ぬぷん児童図書出版 1988)
    夏休み中、テレビや新聞で戦争について考えてみた人はいますか?
    8月15日に小泉首相は全国戦没者追悼式の中で次のように述べました。(黒板に掲示する)
    では五七年前の日本の敗戦後の様子を見てみましょう。(6ページ程読む)
  2. 『写真記録 日中戦争 5 アジア・太平洋戦争』
    一九四一年の真珠湾奇襲攻撃の様子を紹介する
    →アジアへの進出は当初非常にうまく行きました。
    →シンガポール、フィリピン、インドネシアの戦いの様子を紹介
    しかし一九四三年に入ってから連合軍の攻撃が本格的になってから日本軍は段々後退を余儀なくされていきました。
    →ガダルカナル島、サイパン島の戦いの写真
    当時の小学生は集団疎開をし、中学生は軍需工場で働いていました。
  3. 『HIROSHIMA 半世紀の肖像』
    そして一九四五年八月六日に広島、九日に長崎に原爆が落ちて、日本は一五日にポツダム宣言を受諾して、無条件降伏をしました。
    →原爆ドーム、原爆に苦しむ人々の写真を提示
  4. 『戦時下写真ニュース5 戦地編』
    では、どうしてこのような戦争に一億総国民が加担してしまったのでしょうか。当時の日本の政府はこうした戦争のおそろしさを正確に国民に伝えようとしませんでした。
    →昭和一八年から一九年にかけての「同盟通信写真ニュース」を五つほど紹介する
    当時の音声の悪いラジオ放送の声を真似して紹介
  5. 家永三郎『戦争責任』(岩波書店 1985)
    では、果たして現在の日本の教科書はこうした歴史の真実を伝えているでしょうか。みんなの持ってる日本史の教科書を見てましょう。
    →現行の教科書を紹介
    当時の新聞に比べるとかなり具体的に書かれていますね。
    ここで日本史の教科書検定制度の裁判に長く携わってきた家永三郎さんの本を紹介しましょう。
    →「戦争を知らない世代にも責任はあるか」を読む。
    戦争責任を戦後責任と読みかえて、今歴史の真実を知ることから、考えていくことの大切さに重点をおいて区切りをつける。

図書の選択について

図書館司書教諭講習より
図書の選択について

1 図書の選択の変遷

17世紀以降、大学に図書館が設置されて以来、図書の選択について様々な見解が出された。その変遷をかいつまんで紹介したい。

  1. 教養中心説
    イギリス図書館界の指導的立場であったエドワーズが図書館法の制定にあたり、「紳士は古典・哲学書・宗教書を読み、素養を身につけるべきだ」という主張のもと、教養書を中心とした選択基準が示された。
  2. 社会需要説
    イギリスのマッコルヴィンは、図書館そのものが社会の必要性によって生み出されたものである以上、図書館の蔵書は社会の需要に基づいて構成されるべきだとし、図書選択に当たっても各図書は社会の需要に供給うするという感覚で評価する必要があるとした。
  3. 文化機能論
    アメリカのバトラーは「図書は民族の記憶を保存する社会機構の一つで、図書館は生活する個人の意識にこれを伝達する社会施設の一つである」と主張した。このの思想は現在でも世界の図書館界の主流を占めている。バトラーは図書館とは人類の獲得してきた知識を収集保管しておき、これを必要とする人にはだれという区別なしに提供する社会的機関だとするわけであるが、図書館は一人ひとりの生活、人間向上、社会的進歩などを考慮し、究極的には人類の反映につながるような内容の本を選ぶべきだとした。

2 学校図書館における図書選択

学校図書館は、学校教育の効果を最大限に高めるよう、学校教育を援助・充実せしめるように機能しなければならない。その役割から引き出される選択基準は、”その図書は自校の教育に役立つかどうか”である。当然教育的色彩が強い選択基準になり、ほとんどの図書を教育課程の展開と生徒の人間的成長に資する立場で選ぶことになる。各教科の参考文献、また名作と呼ばれる本や参考図書を備える必要がある。またその選択に当たっては教員はもとより、生徒や父母の要求にも応えていかなくてはならない。

全国学校図書館協議会は1988年に「図書選定基準」をまとめている。その中では、教科の参考文献、名作にとどまらず、科学的な正しさ、論理的展開、資料の適切さ、異見・異説の紹介、原拠が示されているかどうかにまで踏み込んで基準を示している。また内容だけでなく、適切な表現や構成、造本・印刷の点も考慮に入れることを提唱している。

3 これから求められる図書の選択について

戦後学校図書館法が成立した後も、図書館は学校の隅に追いやられ、本好きな子供のみを対象とした本の保管場所という地位に位置づけられていた。しかし1998年に文科省より、小学校の学習指導要領の中で、「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探求活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること」という方針が出された。これは初等・中等教育全体に示された考え方で、学校図書館を「利用」することから、「活用」することへの転換が表されていると考えることが出来る。これまで教科の範囲外で、読書の大切さや、読書感想文の指導がなされてきた。しかしこれからは教科の中で、生徒が問題解決能力を向上させていくための積極的な図書館活用が求められている。そのためには図書の選択についても、教科書の巻末に挙げられているような文学歴史作品を中心とした既存の「名作」だけでなく、様々な教科の教員が選定に加わり、その学校に応じた本の選択基準の考え方を共有していかねばならない。

4 私自身の図書選択基準

昨年度の末、私が職員会議に提出した図書選択に当たっての見解の一部を抜粋して紹介したい。進学校の高校を対象としているが、ほとんどの高校において通用する考え方と選択図書を示したつもりである。

これから学問の世界を目指していく段階にあり、進路等で悩みを抱えている高校生の耳目を広く開かせていくような本を生徒に提供していきたいと考える。文学作品だけでなく、人文系・社会系・自然系分野において、教科の範囲から一歩踏み込んでいく生徒の関心をつかむような大学1年生レベルの入門書の充実が望まれる。また大学入試(とりわけ小論文対策)も視野に入れ、ブックレットのような使いやすい資料も必要であると考える。私見として、社会系・自然系分野の本が少ないと思われる。法学、日韓問題、人権問題、情報分野、遺伝子や臓器移植関連の本、物理・化学・生物学・地学の基礎的参考書、哲学、現代思想、英語の原文などの本を揃えていきたい。

  • 岩波書店刊行「岩波ジュニア新書」(全250冊程)「岩波科学ライブラリー」(全83冊)、現代書館刊行「フォービギナーズシリーズ」(全90冊)〔注1〕「フォービギナーズサイエンス」(全7冊)講談社刊行「なっとくシリーズ」(全26冊)〔注2〕「ゼロから学ぶシリーズ」(全4冊)については過去に遡って購入できるものはすべて購入する。また今後逐次刊行され次第購入する。
  • 講談社刊行「ブルーバックス」、岩波書店刊行「岩波ブックレット」について過去3年間で手に入るものは購入する。また今後刊行され次第購入する。
  • 講談社刊行「現代新書」岩波書店刊行「岩波新書」は過去1年間に遡って購入できるものはすべて購入するまた今後刊行され次第逐次購入する。
  • NHK出版刊行「宇宙〜未来への大紀行」(全4冊)購入する。また今後NHK出版刊行の大型企画の本は逐次購入予定。
  • 自由国民社刊行「現代用語の基礎知識」集英社刊行「イミダス」朝日新聞社刊行「知恵蔵」文芸春秋社刊行「日本の論点」等の年次刊行物については既に刊行されている最新版より今後逐次購入する。
  • 文学・歴史への興味・関心を持たせるために、漫画の類いは検討の上、購入していく。今年度予算においては、横山光輝作「三国志」(潮出版社全60冊)、「史記」(小学館全15冊)、大和和紀「あさきゆめみし」(講談社全13冊)を購入する。

参考文献:前園主計[ほか]『図書館資料論』(東京書籍 1983)
黒沢浩編・著『新・学校図書館入門』(草土文化 2001)

高度情報化社会における情報教育の意義について

高度情報化社会における情報教育の意義について

そもそも高度情報化社会って何だろう。冒頭にこの定義について考えてみたい。
2001年に施行された「高度情報通信ネットワーク社会形成基本法」の中で、高度情報化社会とは「インターネットその他の高度情報通信ネットワークを通じて自由かつ安全に多様な情報又は知識を世界的規模で入手し、共有し、又は発信することにより、あらゆる分野における創造的かつ活力ある発展が可能となる社会」と定義されている。つまり、グローバルに情報が行き交う社会の中では、情報を取捨選択する能力だけでなく、情報を効果的に発信していかないと競争に生き残れないと警告しているのだ。まるでこれまでモノ作りに専念してきた日本イズムに対し、IT分野におけるソフト戦略で完全に失墜したことに対する反省文のようだ。しかし戦後型経済・行財政システムの再構築は、既に橋本龍太郎政権時に提唱された改革プログラムの中に盛り込まれていた。

そして、その社会の実現にあたっては、「すべての国民が、インターネットその他の高度情報通信ネットワークを容易にかつ主体的に利用する機会を有し、その利用の機会を通じて個々の能力を創造的かつ最大限に発揮することが可能となり、もって情報通信技術の恵沢をあまねく享受できる社会が実現されることを旨として、行われなければならない」とされている。すなわち情報通信システムは一部地域、階層だけで成立するものではなく、全ての国民が「情報」という得体の知れない管理の中に置かれることを示唆している。現在問題になっている住民基本台帳ネットワークシステムなどもこうした情報通信社会の下地となるのであろう。

そして、こうした21世紀型の情報化社会を支えていくためには、教育の改革が不可欠である。1996年7月19日に中央教育審議会から出された「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」というの答申の中では、「情報化と教育」について次のように提言されている。
「初等中等教育においては高度情報通信社会を生きる子どもたちに、情報に埋没することなく、情報や情報機器を主体的に選択し、活用するとともに、情報を積極的に発信することができるようになるための基礎的な資質や能力、すなわち「高度情報通信社会における情報リテラシー(情報活用能力)」の基礎的な資質や能力を育成していく必要があること」 いささか遅きに失した感があるが、文科省もこれまでの機械暗記型の「メモリー型教育」から情報活用能力育成といった「CPU型教育」への転換の必要性を訴えている。

精神科医でもある和田秀樹氏は『大人のための勉強法』(PHP新書 2000)の中で、IT時代に求められる能力について、「知識を多く身につけてきて、それを使って適切な問題解決を行なう推論ができる人ということである。もちろんこれは受験勉強だけでなく、実社会でのさまざまな問題解決で求められる思考力のはずだ」と述べる。

情報化社会における情報教育というとパソコンなどの機器についての知識を高め、これまでの臨教審路線の中軸であった「科学技術立国」政策の後釜的なものと捉えがちである。確かに、現在の情報教育は、元々情報機器産業が後押しするIT戦略本部から打ち出されたもので、結局はメーカーの製品の販売台数向上を目的として出発したものである。しかし現在の文科省の路線は、そうした総務省の路線を総合的な学習時間や、調べ学習と結びつけて、それまでの欧米に追い付け型の情報教育ではなく、グローバルスタンダードの競争社会の中で勝ち残っていくーとりわけベンチャービジネスなどーために必要とされる創造力と情報発信能力の向上を打ち出している。

そしてさらに文科省はこの情報教育を幅広く捉え、「生きる力」というスローガンに結実させている。1998年に改定された学習指導案の根幹ともなる「新しい学力観」について、文科省は「知識・技能は重要であるが,単なる知識の量のみではなく,学ぶ意欲,思考力,判断力,表現力まで含めて学力ととらえる必要がある。(学習への関心・意欲・態度や将来の生活に関する課題に適応する能力 を重視するのは国際的な流れ)」と述べ、課題発見・問題解決能力の育成に重点を置いている。
専大教授の正村公宏氏は『改革とはなにか』(ちくま新書 1997)の中で、教育について次のように述べる。少々長いが引用してみたい。

「教育の基本は、個々の子どもの潜在能力を発見し、伸ばすことであり、子どもの自己開発の意欲と能力を育てることである。重要なのは彼らの内発的動機を養うことであるが、日本の学校教育は、ほとんど意味のない詰め込みによって子どもの内発的動機をかえって殺している。歴史の授業では、多くのこまごまとした知識の詰め込みが強制され、さまざまな歴史的事件にたいして「なぜ」という問いを発することの重要性を学ばされることは少ない。過去について「なるべくしてなった」という認識をもつことができない人間は、未来についても「なるようにしかならない」という認識しかもつことができないだろう。日本の子どもたちが正常な歴史感覚をもち、人間と社会のあり方を考えるようになり、新しい状況を創造していく主体に育っていく可能性はきわめて低い。複雑な現実の中からさまざまな問題を発見し、それらの問題を解決するために複数の手段の適切な組み合わせを考えぬくというようなことにたいして、子どもたちは興味を示さなくなっている。」
正村氏の示す、「内発的動機」を高め、「複数の手段の適切な組み合わせを考え抜く」情報活用能力の育成には次の3点に分類される。

  1. メディアの受け手としてのリテラシー
    …メディアを批判的に選択、分析、理解する能力
  2. メディアの使い手としてのリテラシー
    …メディアチャンネルを有効に利用し、メッセージを効果的に活用する能力
  3. メディアの作り手としてのリテラシー
    …創造的にメディアを利用し、メディアチャンネルに参画し、メッセージを積極的に創造していく能力

情報メディアの特性と活用について
情報メディアには、印刷・紙媒体のよる資料類のほかに、視聴覚資料、マルチメディア/ハイパーメディア、さらにはインターネットに代表されるネットワーク上で、またはオンラインで流されるデータやメッセージなどの情報も含まれる。

  1. 印刷メディア
    印刷メディアは、ごく一般的に、図書、および、雑誌などの逐次刊行物、パンフレットに分けられる。可搬性に優れ、通覧性が高く、極めて簡単なパッケージの中に、人間の思想や感動といったものを順序良く体系的に詰め込むことが出来る。
    しかし、印刷メディアはあまりに多くの情報を一斉に効率的に伝えることができるために、学校教育の中においては、教科書中心の知識獲得型学習の固着を促した。
  2. 視聴覚メディア
    利用に特別な機械を必要としない簡易視聴覚メディアとして、写真や絵はがき、美術原画、地図、実物標本などが挙げられる。また再生機器が必要な音声・映像メディアとして、カセットテープやCD、MD、またビデオテープやDVD、マイクロフィルムなどが挙げられる。これらのメディアを利用することにより、海外の生活や文化などの理解の促進、通常は見られない動植物の生態の観察など、臨場感をもって該当に接することができる。印刷メディアに比べて、学習者にとって具体的経験を伴うものであり、学習者の理解を向上させる。
  3. 電子メディア
    主にパソコン関連のメディアであり、FDやMO、CD-ROM、DVD-ROMなどが挙げられる。これらのコンテンツを利用することにより、これまでの受動的学習態度から、主体的な学習態度への転換が促される。またこれらのメディアは受信するだけでなく、発信することができ、知識獲得型学習から創造、問題解決型学習への転換も生まれる。
  4. 放送・通信メディア
    1933年NHKラジオによる教育放送の開始、1953年にNHKテレビによる学校放送が開始されて以来、比較的早く学校教育の中に取り入れられてきた。また最近ではNHKによる「インターネットスクール」や文科省による「エル・ネット」などインターネットや通信衛星を利用した多角的な方向へ広がりを見せている。いずれも電子メディアと組み合わせることによって、これまでの放送メディアの弱点であった保存性が改善され、より広く学校現場で使われていくメディアである。

このように学校内にはさまざまなメディアがあり、子どもたちがメディアを自由に利用出来るよう効果的に、計画的に整備していく必要がある。

メディア専門職としての司書教諭の任務と役割について
アメリカ・スクールライブラリアン協会は、1988年にまとめた「INFORMATION POWER-Guidelines for School Library Media Program-」の中で、メディアスペシャリストの役割を次の3つに分類している。

  1. 情報の専門家
    図書館のメディア・スペシャリストは、学校の中に組織的に育成されたコレクションを通して、生徒や教員がリソーセスを利用することができるようにする。すなわち、情報の提供のコーディネーターとして、「このような場面ではこのようなメディアを、このメディアはこのように用いれば効果的」と教師にアドバイスをし効果的な教育支援を行なう。またメディアの管理者として、一元的管理を行ない、校内のメディアを有効に利用出来るものにする。
  2. 教師
    児童・生徒や教師に新しいメディアへの京美や関心を換気させ、利用に挑戦させるように働きかけるプロモーターである。
  3. 学習指導コンサルタント
    図書館メディア・スペシャリストは、メディア教育で教師間、科目間との連携、調整をし、系統的な教授開発法のプロセスを用いて、教員と協力して教授活動の改善を行なう。

以上のような役割を受け持ちながら、これまでの知識偏重型の教育から、自ら調べ、学び、自らの解答を導きだしていく推論考察型の教育への転換を促すという極めて重い役割を担っている。