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生活保護基準の切り下げ

本日の東京新聞の朝刊の藤本由香里さんのコラムが関心を引いた。
厚生労働省は2008年度から生活保護費の給付の基本となる基準額(食費・光熱費などの最低生活費)の大幅な引き下げを検討しているそうだ。藤本さんは次のように述べる。

厚労省は「一般所得世帯の消費実態との均衡」を見直しの理由としてあげているが、この裏には「正社員並みに働いても所得水準が生活保護以下の層」いわゆる「ワーキングプア」の存在があるのは間違いない。つまり働いても保護水準以下なのなら、生活保護基準の方を切り下げてしまおう、というわけだ。しかし、これでは本末転倒だろう。なんとかしなければならないのは、「人を安く使い捨てる」ことを奨励してきた制度の方であり、生活保護基準の方ではないはずだ。(中略)弱者を切り捨てることで国は豊かにならない。今、別の再配分が求められている。

まさに正鵠を得た意見である。働いても働いても家族を安心して養うことのできない収入しかないのでは、労働者はストレスで身を滅ぼすであろう。やはり、日本の社会風土においては欧米以上の広範囲なセーフティネットの確立が求められる。また、雇用のあり方にもメスを入れたい。就職氷河期などで一定の年齢を超えた不定期雇用者や障害を抱えた者、育児や介護などでまとまった時間が取りにくい人たちにとって働きやすい環境を整えていくことが急務である。

『テロとの戦い 再考』

本日の東京新聞朝刊に姜尚中・東大教授の『テロとの戦い 再考』と題した小論が掲載されていた。
その中で姜尚中氏は「日本政府は日米同盟から世界をみるという旧来型の思考から抜け出せていない。現在の米国の対テロ戦略が行き詰まっているのは明らか。友人ならば、その場しのぎの対米追従ではなく、米国に異なる選択肢を示していくことが肝心なのでは」と疑問を呈する。
そして、「日米関係は重要であり続ける。でも、いま日本に求められているのは日米のみではなく、それに地域の他国関係を組み合わせられる思考だ。日米の片務的な関係を正す道もそこから見いだせるのではないか」と結論づける。姜尚中氏は話を政治に限って論じているが、米国に弱みを握られつつもおんぶに抱っこという状況は、政治も金融も軍事も全てに共通することだと思った。

『日本の青空』

今日の東京新聞夕刊に、日本国憲法の制作過程を描いた映画『日本の青空』の上映会に対し、主催の住民団体の後援申請を自治体が拒むケースが相次いでいるとの記事が載っていた。『日本の〜』は、現在の日本国憲法がGHQがゼロから起草したものではなく、鈴木安蔵や森戸辰男らの自由民権運動の流れを組む憲法研究会の憲法試案を土台となしたものだという事実を描いた映画だということだ。
地方公共団体は、映画を主催する住民団体の「政治」性を問題としているとのことだが、政治性、宗教性の判断よりも99条の公務員の憲法尊重擁護義務の方が優先されるべきではなかろうか。

「大波小波」

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また、本日の夕刊コラム「大波小波」に『機動戦士ガンダム』などのキャラクターデザインで名を馳せた安彦良和氏の評が載っていた。コラムによると安彦氏は学生時代に反戦運動に加わり大学の除籍処分を受けた経験から、どの作品にも「一所懸命生きた人に敬意を払う姿勢は、いま現に生きている人間の最低のモラル」という信念が作品に通底しているとのことだ。確か高校時代に映画館で観た『ヴィナス戦記』も権力争いの醜い戦争の中で懸命に自分を生きようとする青年の姿が描かれていた。あまり漫画は読まないが民族紛争を扱った作品もあるようなので近々手に取ってみたい。

テロ特措法

本日の東京新聞夕刊に安倍晋三首相のアジア太平洋経済協力会議後の談話が一面に載っていた。記事によるとテロ対策特措法に基づいてインド洋で行っている海上自衛隊の給油活動について、期限が切れる11月1日以降も延長もしくは新法成立でもって活動が継続できなければ政治的責任を取って退陣するとの考えを表明したとのことだ。阿倍首相は「(給油活動は)国際的な公約となった以上、私には大きな責任がある。テロとの戦い、補給活動に職を賭して取り組んでいく考えだ」と、米国追従政策が「国際」的に評価されたものであると同時に国益に適うことであると述べている。一方小沢民主党党首はイラク戦争は国連安保理の合意が得られたものでなく、米国単独の戦争であると定義づけ、あくまで給油活動そのものに反対するとの考えを堅持している。

阿倍首相は補給活動うんぬんという細かい話に還元せず、自民党総裁としての堂々とした憲法・安保論議をしてほしい。また民主党をはじめ公明党、共産党、社民党も自民党批判だけに終始せず、党としての憲法のあり方や防衛政策をきちっと打ち出して議論を深めてもらいたい。湾岸戦争以降、沖縄基地問題や日米地位協定、自衛隊法など続けざまに改悪されてきたが、日本政府としてのその拠り所である「憲法−防衛」の根幹的な論議は蔑ろにされてきた。自民党や民主党といった自衛隊の海外派兵そのものを認めている党だけで議論するのではなく、自衛隊そのもののあり方に疑義を投げ掛け論議を深めて欲しい。