投稿者「heavysnow」のアーカイブ

『トレンディなんてぶっとばせ』

平松茂『トレンディなんてぶっとばせ:自分に恥じない生き方のすすめ』(岩波ジュニア新書 1991)をパラパラと読む。
執筆当時時事通信社で専門学校についての記事を書き、実際に専門学校の教壇にも立っていた著者が、大学や短大に無目的に進む生き方ではなく、専門学校で自分の道を切り拓く若者を取り上げ、返す刀で学歴や肩書のみを重視する日本の世相に斬りかかる。

しかし、専門学校の紹介なのか、敢えてマイナーな生き方を目指す若者への讃歌なのか、コンセプトがはっきりせず、当時流行ったカウンターカルチャーな物言いに留まっている。

「中国 少子化加速に焦り」

本日の東京新聞朝刊に、中国の少子化が急激に進んでいるとの報道が掲載されていた。
授業の中でも、1979年から2014年まで実施され、一組の夫婦につき子供は1人とし、2人目以降産んだ場合は罰金刑などが課せられる「一人っ子政策」について扱った。2014年に廃止以降も出生率は上がらず、昨年の中国の合計特殊出生率は日本を下回る1.30であった。

中国や韓国の少子化の分析や対策は、日本にとって参考になるところが多い。記事の中でも、とりわけ教育費の負担が少子化の要因になっているとのこと。日本では子どもの医療費や高校の授業料の無償化、児童手当などの拡充が進み、急激な出生率の低下は生じていない。ただし、人口の増加にまでは至らず、2008年より10数年連続して人口が減少している。

来年度から現代社会という授業がなくなり、人口問題や少子高齢化、エネルギーや環境などについては、1年生の必修科目である地理総合で扱うこととなる。これまでの地理の授業では、各国の人口や国民総所得などは扱っても、人口減少の要因や解決策について突っ込んで説明したり、話し合ったりすることはなかった。しかし、来年度以降は、東アジアや北欧、アフリカなどの人口政策を比較しながら、日本の少子化について正面から取り上げていかなくてはならない。

人口問題は、記事で中国の国家戦略に絡んでくるように、国家、国民、民族という極めて大きな政治問題である。一方で、一人の人間として恋愛し、結婚し、妊娠するというプライベートな部分に絡んでくるナイーブな側面を持っている。なかなか授業で踏み込むのは難しいなと感じてしまう。

『ものの始まり50話』

近藤二郎『ものの始まり50話:文明の源をさぐる』(岩波ジュニア新書 1992)をパラパラと読む。
著者は執筆当時、早稲田大学古代エジプト調査室に勤務しており、現在も早稲田で教鞭を取っている研究者である。その著者がパンやチーズに始まり、貨幣や暦、マンガ、トランペットなど、50の物や仕組みを取り上げ、そのルーツの多くが古代エジプトにあるとする講釈が滔滔と続く。日本や中国で発展したと思われる文物が、実は古代エジプト文明やメソポタミア文明、インダス文明に既に見受けられるのだという一辺倒な切り口なので、最初の3つくらい読んで飽きてしまった。ページを繰りながら、「我田引水」ということわざが忘却の淵から浮かび上がってきた。

『わたしの少女時代』

池田理代子・宮城まり子・石垣綾子ほか『私の少女時代』(岩波ジュニア新書 1979)をパラパラと読む。
代表著者3名の他、今井通子さん、黒沼ユリ子さん、増井光子さん、中川李枝子さん、林京子さん、土井たか子さん、石井ふく子さん、籾山政子さん、丸木俊さん、沢村貞子さんの計13名の女性が、戦前戦後の不遇な女性という境遇やガラス天井を打ち破って、夢や目標を実現してきた過去半生を語る。

特に疾病と気候や地理の関係を研究した籾山政子さんの文章が印象に残った。「女性のくせに生意気な」という旧態な風潮が残る学会の中で、さらに「地理好き」というマイナーな路線を突っ走ってきたきっかけが、立正大学の地理学講習会であったそうだ。かつて高等師範部を設けていた立正大学の歴史を感じた。

「レバノン爆発1年 地元知事が窮状訴え」

本日の東京新聞朝刊に、昨夏の爆発事故後、国内政治の混乱により復興が進まない状況が報じられていた。
レバノンといってもあまりピンとこない人が多いであろう。2年前に日産のCEOを務めていたカルロス・ゴーン氏が映画のような逃亡劇を果たした国として報じられたのを記憶しているだろうか。世界史では、紀元前15世紀頃に地中海を制したフェニキア人の都市国家が作られたことで知られる。当時航海に出る際の木造船の材料として用いられた杉の木が、現在のレバノンの国旗に用いられている。

記事にある通り、レバノンは現在無政府状態が続いており、電気や水道、ガスなどのライフラインの整備すら滞っている。シリア内戦やパレスチナ紛争に直接利害関係の少ない日本が貢献する分野は大きいと思う。中国マネーがレバノン経済を席捲する前に、日本が技術支援をできないだろうか。