投稿者「heavysnow」のアーカイブ

「ゆとり」教育改革迷走

本日の東京新聞朝刊に『「ゆとり」教育改革迷走』と題して、政策研究大学院大岡本薫教授へのインタビューが掲載されていた。
記事の中で、岡村氏は文科省のゆとり教育政策のぶれについて次のように断言する。文科省が教育を神秘主義のベールで覆って宗教化させてしまっているという指摘は正しいと思う。「ゆとり」「生きる」を錦の御旗にして何でもかんでもごり押ししようとする、ここ20年くらいの文科省の体質をうまく捉えている。

日本の子どもはずっと学力水準が高いっていう国際比較テストの結果があった。ところが、詰め込んでいるから高かったのかとか、減らしても維持できるとかいう分析をしないでいたから、下がった瞬間になぜ下がったか分からなくなって大あわて。たまたまその前に(ゆとり路線への)政策転換があったから、元に戻そうって。
日露戦争でなぜ勝ったのかきちんと分析しないで、実は(局地戦での勝因は)物量の問題なのに精神力で勝ったなんて言うからあんなこと(太平洋戦争の敗北)になったのと同じです。
「生きる力」とか訳わかんない。教育が宗教になっちゃってる。神秘主義のベールに覆っておきたいから、誰も反対できないスローガンで覆う。でも保護者が気にしているのは、うちの子をどうしてくれるのかということ。最低限ここまではやりますってことを言わなければ、行政として無責任でしょ。

『「株」「投資信託」「外貨預金」がわかる 基礎の基礎講座』

ここしばらく慌ただしさに振り回されていたが、今日は朝からほとんど家にいて、久しぶりにからだを休めることができた。駄ネコのマルクスも飼い主である人間が留守がちでストレスがたまっていたようで、思いっきり猫サッカーを楽しんでいた。

細野真宏・マネー経済プロジェクトチーム編『「株」「投資信託」「外貨預金」がわかる 基礎の基礎講座』(講談社 2000)を読む。中学生向けの「公民」の参考書のように、資産運用の実際とリスクについて分かりやすく解説している。

marx060305

『栗田昌裕の能力を20倍にする速読法』

栗田昌裕『栗田昌裕の能力を20倍にする速読法』(KKロングセラーズ 2002)を読む。
速読をきっかけとして、脳のウエルニッケ中枢領域を開発し、人間の情報処理システムそのものを改築するSRS速読システムなるものを提唱する。著者は、「個性を活かしつつ、人間の最適な処理システムを確立し、それを世の中に還元するまでの人生の全課程の改善と完成を手助けするシステムを目指す」と大言壮語する。著者自身が禅を勉強されたようで、「想念の世界の構造」やら「心の枠組みの拡大」など、心の開発に重きを置いているようである。
眉唾物の内容が大半であるが、超速読の基本であるイメージ訓練法は興味深かった。頭に思い浮かべたイメージを、頭の中で拡大縮小したり、移動させたり、転がしたり、色をつけたり、何か別のものへ変化させたりすることで、洞察力や記憶力が高まるというものだ。また、それによって処々の問題もオブジェクト指向的に捉えることができるという。詳しく知りたい方は著者のホームページを参考されるとよいだろう。

第一子誕生

今週20日の午後7時に無事第一子が誕生致しました。3488グラムのビッグな女の子でした。生まれて10分後には目がぱっちりとして、指しゃぶりをしようと盛んに手を動かしていました。次の日から早速ミルクをがぶがぶと飲んでいます。ミルクを飲んでは寝て、起きては泣き叫ぶ規則正しい生活パターンが出来てきたようです。
母子ともども健康で、このまますくすくと元気に育っていってほしいと願うばかりです。

病院の廊下に妊婦の感想ノートが置いてあったので、手に取って読んでみた。子どもが誕生した感動の言葉でほぼ埋め尽くされている中で、未熟児で二分脊椎症を抱えて生まれ、すぐに岩槻の小児医療センターに搬送された子どもの母親の記述が載っていた。詳しいことには全く触れていないが、その心中を察するにいかばかりのものがあっただろうか。
我が子の健康と笑顔に感謝する心と、全ての子どもが等しく大切に育てられる社会を作らんとする心は同じものである。そのような至極当たり前のことを改めて実感した。

20060220birth

『八月のマルクス』

昨日今日と、期限が刻々と近づきつつある大学のレポート作成に時間を割いた。生活習慣病とインスタントシニア体験についてまとめた。中年の肥満の恐ろしさを改めて知った。ダイエットせねば。。。

第45回江戸川乱歩賞である新野剛志『八月のマルクス』(講談社 1999)を読む。
著者は「ホームレス」生活を送りながら同賞を目指したという異色の経歴を持つ作家である。本作では元お笑い芸人のハードボイルドというこれまた異色な主人公の活躍を描く。解散して数年を経て突然失踪した元相方を追い求め続けていく中で、友人の隠された姿や過去の鬱屈した自己に行き合うといった工夫が随所に光るが、処女作ということもあってか、粗削りな展開は否めない。