今回の授業を受講し、改めて羽仁五郎が起草したといわれる、国会図書館法の前文にある「真理がわれらを自由にする」という近代図書館の持つ精神の重みを感じた。図書館というと便利な公共サービスという認識しかなかった私は、図書館の抱える「自由」に対する責任について考えを改めざるを得なかった。
図書館法は直接的には社会教育法第9条に依拠しているが、大きくは憲法19条の思想及び良心の自由、そして憲法23条の学問の自由その論拠を置くものである。つまり図書館の自由を守るということは、単に貸し出しを増やし、図書館法第2条に定められている「一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資する」だけに留まらず、憲法で定められた自由主義や平和・民主主義を守っていく運動につながっていく。戦前為政者の意向で、多くの文学や重要なニュースが国民の目に触れられず闇に葬られ、この国から正常な政治判断が失われてしまったことを想起すれば尚更である。
図書館自体が民主的で平和な社会を基盤とし、その民主的で平和な社会は憲法12条(「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」)にもある通り、国民の総力によって守られなければならない。そしてそうした国民の正しい判断力を養う場として図書館が存在しなければならないのである。つまり平和で民主的な社会と、そうした理想を実現すべき学校教育と、図書館はこの社会を支えていくにあたり必要不可欠なものである。「真理がわれらを自由にする」という標語は「われらが真理を自由にしなければならない」と読み替えてもいいだろう。
参考文献
鷲山恭彦『「真理は我らを結びつける」−図書館長の就任挨拶にかえて−』「東京学芸大学図書館ニュース第28巻第1号」1999年6月