『木橋』

永山則夫『木橋』(河出書房新社 1990)を読む。
4件の射殺事件を起こし死刑となった作者が刑務所で書き記した作品である。つい最近まで日本にあった、そして今も「普通の社会」のすぐ隣にある生活をリアルに描き出す。そして社会の底辺で底なし沼的な差別が続いていく現実を次のように記す。

この土堤に、N少年を座らせてしまったのは、その空き腹だけのためではなかった。この部落の人々への同情とも、憐憫ともつかない思いが、自分自身の悔しさとたたかっていた。
――俺より下がいた。
というより何かしら言いようのない自己確認と反撥とが争って、思惑を複雑に混乱させてゆくようであった。
しかし、それがどこからくる反撥であり、どこへ向かう反撥であるのか――。それは得体の知れないものだった。丁度その土堤が堤防としてあるのは確かだが、これがどこからN少年のいる場所につながり、どこまでつづいているのかがはっきりしなかったように――。
目前の部落の朝鮮人たちが、どうしてこの河の内側に住むことになったのか、まるで肩を寄せ合い犇めき合いながら生活するようになったのか――分からないままに、石を投げつけ、あげくの果てには黙ってその部落の貧困を極めた姿を見ているしか、N少年には能がなかった。そして、現在の自分自身がどこにいるのか、――不明のままに、土堤の外側の世間と内側の部落とを見比べるように眺めていた。

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