『砂の女』

安部公房『砂の女』(新潮社 1962)を読む。
砂の穴に落ちた男と、砂の中に住む女の不思議な共同生活を描く。穴の中という奇妙な空間で男は自らの存在理由を求める思考を繰り返すのだが、男女関係、労働の価値、社会の希薄化など古典的なそして現代的なテーマが伏線として流れており面白かった。阿部氏ならではの淡々とした散文調の詩的表現も面白い。彼は男の射精の瞬間を次のように描く。

無数の化石の層をつみ重ね、のりこえてきた、人類のけいれん……ダイノソアの牙も、氷河の壁も、絶叫し、狂喜して進む、この生殖の推進機の行く手をはばむことは出来なかった……やがて、身もだえしながら振りしぼる、白子の打ち上げ花火……無限の闇をつらぬいて、ほとばしる、流星群……錆びた蜜柑色の星……灰汁の合唱……
そのきらめきも、ふいに尾をひいて消えてしまい……男の尻を叩いて、はげましてくれる女の手も、もう役には立たない。女の股をめがけて這い出していった、神経も、霜にうたれたひげ根のように、ちりちりに枯れ、指は、貝の肉のあいだで、萎えつきる。

また作中人物をして次のように言わしめる。

労働を越える道は、労働を通じて以外にはありません。労働自体に価値があるのではなく、労働によって、労働をのりこえる……その自己否定のエネルギーこそ、真の労働の価値なのです。

この言葉の意味するところは私にはよく分からないが、60年代の高度成長期における労働の機械化、疎外化の一端が伺い知れる。労働に価値を置くべきはずが、

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