森本哲郎『学問への旅』(佼正出版社 1985)を読む。
森本氏というと海外特派員の経験を生かした文化論学者かと思っていたが、戦後まもない東大の大学院哲学科でカントを研究しており、当時花田清輝氏や武井昭夫氏とも親交が深かったという事実を知り驚いた。
人間にとって何より大切なのは、じつは「つまらぬ」時間であり「あきあき」するようなひとときなのである。なぜなら、こうした退屈な時間こそが人間を考えさせ、おもしろいことへの探索へと駆り立てるからである。退屈な時間をどのようにして面白い時間に仕立て直すか、それが創造行為への第一歩なのである。現にデンマークの哲学者キェルケゴールは「退屈する人間」こそ高貴な人間であり、退屈というものを知らない人間というのは「最もがまんならない」下品な人間だといっている。退屈しない人間はついに自分で何も生み出すことができないからである。
そんなわけで、私は退屈を知らない現代の子どもたちを可哀そうに思う。彼らはすべての時間を大人たちによって与えられたもので過ごし、退屈のあまり自分で何かを探索し、工夫し、創造することをまったくしない、いや、できないでいる。逆説のように響くかもしれないが、このように人びとを退屈させないようにできている世の中というのは、実は文化の貧しい世界なのである。