鳴門教育大教授小西正雄『「戦後民主主義」と教育−呪縛を解く』(明治図書 1995)を読む。
著者は、「人権教育」「異文化理解教育」「環境教育」「平和教育」など多岐に亙る分野において、「戦後民主主義」という妖怪が跳梁跋扈していると言う。その妖怪は威勢の良いスローガン主義や精神論を振り回すだけで、国家や権力を悪の元凶と位置づけ、「正義」を自任する左派勢力のことである。つまり「人間は皆平等」「環境破壊は人間優先の思想の結果である」「平和こそが全て」といった否定できない「正義」を掲げるだけで、「戦後民主主義」は何も創り出さず、ただただ教育の荒廃を招いただけだと著者は批判している。さらに「戦後民主主義」はただ知識を「教える」だけの形だけの教育に安住し、生徒の自主性や個性を奪ってきた。
そこで、著者はこれまでの「知的好奇心を原動力とする情報量格差解消型の授業」や「〈つかむ−調べる−まとめる〉型の硬直化した授業」を脱し、学校教育という教育制度のもつ2つの特質−「集団的」と「計画的」−を生かす授業を提案する。すなわち、作文やディベートなど生徒の表現を引き出す舞台をセッティングし、その集団から生まれてくる生徒の個々の問題に対する価値判断の「ズレ」を生じさせ、その「ズレ」を授業の題材としていく新しい授業のあり方を示唆する。
ここまで書いて分かったのだが、いかにも明治図書的(これまでの硬直化した知識偏重の入力型授業を否定し、生徒の主体性・個性に依拠した出力型の授業の提案)な主張を形を変えて繰り返すだけで、特に新しい内容は無い。その上、西尾幹二や曾野綾子の文章をあちこちに引用した露悪な本である。