『ネオナチと極右運動』

フランツィスカ・フンツェーダー著・池田昭訳『ネオナチと極右運動』(三一新書 1995)を読む。
ドイツにおけるネオナチグループの隆盛について、緻密な分析が展開されている。特にネオナチ運動とキリスト原理主義の相関性を明らかにしており、宗教を隠れ蓑にした極右運動の危険性を指摘する。

 現代文明の危機、例えば環境破壊、核の脅威や諸々の生活の不透明感などを「人類存亡の危機」として捉え、しかもこの危機からの救いの目的を「より根源的で、より人間的で、自然に適っているとされる文化・宗教」もしくは「自己の根源と根拠」の存在とする思想である。
(中略)この思想のアルカイックな特質は、前・非キリスト教の、「無垢」な、自然宗教のゲルマン宗教などに求められる。そのために、オカルト的・秘教的・神秘主義的宗教の特徴をもつ宗教運動、あるいは自然科学的知識を取り入れた心理療法の神智学の特徴のそれなどが展開する。
(中略)自己の「始原」の人種と民族の尊重は、政治的ラディカリズムと結びついて、排外的民族主義的特徴、あるいはミリタリズムの特徴をもつようになる。
最後にアルカイックな思想を求める思考様式は、分析的ではなく前近代の全体的・循環的方法をとり、そのために調和的なイデオロギー、プレアニミズムやアニミズムは、肯定され、一見、現代文化・文明に対しラディカルに批判しているようにみえて、これとは正反対に反動的な姿勢が生まれている。

また、戦前の日本のファシズムを後押しした国家神道についても述べられている。

日本でも、ドイツに遅れて今世紀の初めに日露戦争を経て、帝国主義を確立した段階に、「神道界」に国家主義的思潮があらわれた。さらに明治末に新宗教運動としては「神道徳光教会」や「大本」の神道系の宗教が国家主義的傾向を帯びて本格的に展開した。
帝国主義のドイツや日本などに、古代的な宗教の復興がみられ、帝国主義を支え、やがてナチズムや日本ファシズムの確立をみたことは記憶に新しい。この歴史を考えると、戦後の今日にみられるネオゲルマン異教の発生の動向は、戦前のそれと同様に近代ではなく、現代の社会の性格と関連づけて考察しなければならない。

ニュルンベルクのネオナチとみられるロックグループ「ラジカル」が歌う曲「ドイツの救世主」の歌詞が載っていた。正月の靖国神社で歌ったという日本人グループの歌と酷似している。

あー、俺達の哀れなドイツ
おまえはこんなにまでなってしまった
見渡す限りおまえを救うやつはどこにもいない
だけどこんな状態はもう許されないぞ
この悪者どもはもう見るにたえない
だめだ、こんな状態は許さん
この赤い悪者どもはもう見るに耐えない
ドイツの救世主、それは俺達だ
祖国のために俺は闘う
野獣のように闘う
忠誠・血・名誉が俺達の誇りだ
なぜなら俺達はドイツの樫の木のように強固だからだ。

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