「希望は戦争」

まだオーストラリアへ出掛けていた頃の新聞がたまっており、まだ読み切れていない。
本日は7月25日付の東京新聞夕刊の「あの人に迫る」と題した記事が目に留まった。「希望は戦争」と、戦争にしか自らの境遇を変えるチャンスを求められない非正規雇用の焦燥感を綴った論文で注目された赤木智弘氏へのインタビューである。赤木氏は自らのコンビニでの夜間のアルバイト経験を踏まえ次のように述べる。

非正規雇用労働者は、正当な努力でキャリアアップできる「はしご」が用意されていない。大卒で新入社員になれば、はしごがあるけれど、そこでしくじれば、まともに上ることができなくなり、努力する意味がなくなってしまう。努力しろというより、努力した先に何かあることを明確に示す必要がある。

(中略)
今までなら若いころは貧乏でも、働いていれば昇給するし、出世できなくても家庭を持ち、それなりの生活はできた。だが今の非正規雇用労働者は働いても自分一人の生活すら、まともに保持できない。都合が悪ければすぐ切り捨てられる。
日本人の多くが終身雇用が望ましいと考えているらしいが、そういう社会体制を守ることが平和であるとすれば、そういう平和は非正規雇用の若者を踏み台にしている、不当な平和なんですよ。

(中略)
もちろん、平和のままでいられればいいと思う。でもシステムによってふみつぶされる人がいっぱいいる。本当は平和を望んで入るが、平和のために不平等で構わないという考えは納得できない。
平和か、平等か、どちらか選べといえば、自分はまず平等をとる。その上で、平和になればいいが、今の平等なき平和を守っても意味ないと思います。これまで平和と平等が両立できたのは、経済成長の中で、うまくいっていたにすぎない。

同世代の男性の本音として、共感できる部分が多い。現在、正規雇用となって家庭を持った自分であるが、その自分の立場は、赤木氏の指摘する非正規雇用労働者を「踏み台」とした上に成り立っているという指摘は正しい。ベトナム人民の犠牲の上に平和を連呼した70年代と重なる。

赤木氏は規制緩和の大合唱で始まった市場絶対主義、格差社会に警鐘を鳴らすが、一方で左派思想についても、「正規社員でつくる労働団体も現実的なところでは、自分たちの権益を守ろうとしている」と批判的である。

□ 赤木智弘主催ウェブサイト『深夜のシマネコ』 □

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