『インパラの朝』

第7回開高健ノンフィクション賞受賞作、中村安希『インパラの朝:ユーラシア・アフリカ大陸684日』(集英社文庫 2013)を読む。
著者は執筆当時20代で、主にヒッチハイクやバスでユーラシア大陸を横断し、中東からアフリカを回り、現地で暮らす人々と食事を共にしながら、生活者の目線で世界の多様性やあり方について綴っていく。
少し長いが引用してみたい。

 先進国で不要になった車やバイクやパソコンは、再利用品として輸出され、途上国の街に溢れた。リサイクルのアイデア自体は、理想の循環システムとして歓迎すべきことだった。先進国でゴミを減らして、途上国の生活を低いコストで便利にした。けれどその一方で、先進国で廃車になった古いバスやトラックは、排気ガスを撒き散らし、途上国の至るところで大気汚染を引き起こしてきた。
黒く曇った街を歩けば、あっという間にメガネが曇り、黒くなった鼻の穴からヘドロの玉が転がり出てきた。途上国で壊れた車や家電製品は行き場を失い、森や砂漠に捨てられたまま、醜態をさらして朽ち果てた。一部はスラムの住宅街で、鉄くずとなって錆びついて、溢れ出してきたエンジンオイルが大地に染み込み汚泥をつくった。サンダルを履いて道を歩けば、足の甲や爪の間にゴミが積もって黒ずんだ。小さな子供や老人も、すすけた顔を拭きながら、汚れた両手で生きていた。
私は咳きこみ、気管支を痛め、両目が充血するたびに、できることならと、いつも思った。できることなら、わずかの予算を割り当てて、中古品に手を加え害の少ない車に直し、メンテナンスの知恵を授けて、それから輸出できないものか。それでも壊れてしまったものはパーツごとに分解し、完全なゴミとなる前に再活用する体制を整えてみてはどうだろうかと。
けれど、こうした地味な支援はおそらくあまり好まれない。もっと派手に輸出して、環境もしっかり破壊してから、先進国の高い技術で環境整備に乗りだすほうがずっと予算も消費できるし、見栄えも立派で分かりやすくて高い評価を受けるだろう。気管支だって痛めてみないと、医療支援のしがいもなくなる。国際支援の実績をアピールできなくなるだろう。

著者は、先進国の都合や思い込み、国際競争の中で、アフリカの支援が決まっていく過程に疑問を抱く。中国が先頭を切って道路や港湾を整備しているので、他国も負けずにインフラ整備支援に金を落としていく。また、青年海外協力隊も、その協力の中身は二の次にされ、どこへ何名派遣したという実績作りのために運営されている側面がある。「国際協力」という錦の御旗のもと、アフリカやアジアでは、先進国の文化や流儀を押しつけられ、生活環境が破壊され、貧困が加速していく。著者はそうした負のスパイラルに踏み込んでいく。