「踊りは思想」

本日の東京新聞夕刊の匿名コラム「大波小波」の書評が目を引いた。
アナキズムに造詣が深い政治学者栗原康氏の著作にも目を奪われるが、社会や政治についてリズムに乗って語る軽妙な文体が耳に心地よい。こういう文章を書く力を身につけていきたいと思う。勉強のつもりで打ち直してみたい。

 安保反対や脱原発のサウンドデモ。心臓の鼓動のような太鼓の響きはリズミカル。大声でラップ調のリズムに乗る。いいね。撥ねろ、歌え。踊りは古より民の活力だ。
 遡れば鎌倉時代の一遍上人、全国を遊行(布教)しながら、念仏踊りを広めた。凄い。南無阿弥陀仏を唱え、トランス状態でとび跳ね、地面を蹴り上げ、自由に踊り続けた。死後は教団化を戒めたので、一遍は他の宗派に比べて知られていない。残念。そこで一遍の「踊り」「捨てる」「放浪」をキーワードに、アナキズムの視点から光をあてたのが栗原康『死してなお踊れ 一遍上人伝』(河出書房新社)。著者独特のリズムを持った喋り言葉の文体でテンポよく、一遍の思想が現代に蘇る。伊藤野枝を描いた前作も傍若無人で痛快だった。栗原、やるね。
 踊りは自らの身体を懸けた思想表現だ。ただの肉体ではない。魂が宿る。抑圧状況下での庶民の武器だ。民は金銭(経済)や制度(共同体)の見えない鎖に繋がれている。だが蒼氓のの居直ったエネルギーを一番恐れているのは、いつの時代も権力者たち。栗原の著作は憤怒の叫びに溢れる。放浪上等、乱舞良し。
 それにしても最近の政治は緩み過ぎ。念仏踊りが始まるぞ。(ええじゃないか)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください