朝日新聞さいたま総局編『さいたま文学紀行:作家たちの描いた風景』(さいたま出版会 2009)をパラパラと読む。
2006年から2009年まで朝日新聞の地域情報面「埼玉マリオン」に掲載された連載をまとめたものである。古くは在原業平や鴨長明から、吉田修一や北村薫まで、近・現代の文学作品を中心として、100人に近い、さいたまの地を文学の舞台に選んだ作家が取り上げられている。
改めて、特に大正から昭和、平成にかけて埼玉を舞台にした小説が多いことにびっくりした。中には登場人物のモデルとなった人物がたまたま埼玉出身ということで、夏目漱石の『坊ちゃん』や森鴎外の『舞姫』も取り上げられており、「う〜ん」と首を傾げてしまう項もあったが、パラパラと目に付く言葉だけ追っても楽しむことができた。
その中でも、浦和にある埼玉会館の完成を祝って神保光太郎氏が読んだ、「埼玉のこころ」と題した詩が印象に残った。その詩の一節に次のような言葉がある。
混沌と怪異の都会大東京の熱気を
まともにあびて耐えてきた埼玉
いつもおだやかに
いつもうつむき
いつも言葉すくなく
みずからの力を誇らず
埼玉よ などてかくもいじらしいのか
東京の裏庭的な存在の埼玉を絶妙に表現している詩と言っても良い。やや自虐的になりがちな埼玉県民の心理を上手く捉えている。
また、杉戸農高や春日部高で国語の教壇に立った北村薫氏は、埼玉県東部を舞台に作品が多いことについて、「埼玉東部はものの考え方を育んだ場所」と述べ、次のように語る。
見渡す限り平ら。海や山のある土地から来た人は、つまらないと言います。でも、我々にとって平野は日常の象徴。平野の真ん中、その中庸さに、安らぎ、落ち着きを感じる。ここを舞台に作品を書いていくのは、「運命」だと思います。
坂とは無縁の生活をしている埼玉東部地区で生活する私にとって、つまらない風景の中に中庸や安らぎ、落ち着きを見出す北村氏の指摘は、我が意を得たりとうなづいてしまう。