司馬遼太郎『この国の形一』(文春文庫 1993)を読む。
明治維新の評価や太平洋戦争中の統帥権の問題などの「微妙」な点について、ずばりと史実に基づいて断じている。そして、歴史的な背景から日本人論を展開している。大変読みやすい文体で、授業の参考になるような挿話も多かった。
幕末の攘夷思想は、革命の実践という面では、ナショナリズムという、可燃性の高い土俗感情に火をつけて回ることだった。政略的には、それによって”屈辱的”な開国をした幕府をゆさぶり、これを倒すことが目的であった。
ナショナリズムは、本来、しずかに眠らせておくべきものなのである。わざわざこれに火をつけて回るというのは、よほど高度の(あるいは高度に悪質な)政治 意図からでる操作というべきで、歴史は、何度もこの手でゆさぶられると、一国一民族は壊滅してしまうという多くの例を遺している(昭和初年から太平洋戦争 の敗北までを考えればいい)。
明治憲法における天皇の位置は、古代インド思想における空や、荘子にお ける虚に似ていた。この憲法では補弼する首相以下国務大臣に-実としての-最終責任があるということになっていた。虚と実の組み合わせはまことに日本的 で、明治期こそ構造上の微妙さがよく働いていたのだが、しかし昭和になって意外な要素としての統帥権が突出し、内圧や汽罐を破るようにして、明治憲法国家 を破滅させた。
そのくせ日本ではこの型以外、ひとびとの心を落ち着かせない。まことに研究にあたいすることである。