テント日誌(6/27)より転載

経産省前テントひろばメーリングリスト「テント村日誌」より一部転載したい。

<国会周辺は集団的自衛権行使容認への抗議の声が>

 今日は朝早くから官邸前で「集団的自衛権行使容認の閣議決定」の動きに対する緊急の抗議行動があった。官邸前には600人余の人が集まり抗議の声をあげた。この集団的自衛権行使は個別的自衛権発動の要件「不正な侵略、排除に他の手段がない、必要最小限の実力行使」であったのに、「他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かせれ、国民の生命、自由及び、幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあるとき」に変えられている。他国に対する武力攻撃により、我が国の存立が脅かされるという事態は明瞭ではなく、解釈によってはとんでもないことになることは明白である。今、イラクでは内戦状態にあり、アメリカの参戦も想定外ではない。かつてのイラク戦争ではイギリスがアメリカ軍への攻撃を我が国の存立が脅かされるとして参戦したのだが、今度は日本がイギリスの替わりに出掛けていくのかも知れない。そんなことは拡大解釈だと言ったところで安倍内閣には通じまい。要するに自衛隊を海外の軍事行動に参加させ、それで国民の意識を変えたいのだ。そうしたくて仕方がないのであり、こういう目的がある限り、拡大解釈なんて織り込み済みというだろう。僕が今度の集団的自衛権の論議をみていて思うことは、自衛隊の海外での戦争をやることに目的というか、意義を見いだしている政府であるということであり、そのためには何でもやるということだ。これが安倍や側近だけのことか、自民党全体のことかは判断できないが、戦争を自己目的にする連中が出てきたということである。これと闘うのは容易なことじゃないが、道はある。阻止する道は国民の戦争の同意を阻止することであり、国民の意志を戦争の否定として固めることだ。戦争は政府の行為として行われるが、それには国民の同意がなければできない。それを阻止するために様々のしかも永続的な闘いが必要なわけでそれをやり抜いていくしかない。

 M・フーコーが日本で、赤紙一枚で兵への召集が可能だったのは、国家権力(政治権力)に協力する社会権力があったからだと述べていることを想起したい。戦争は国家権力が主導するのだけれどもそれだけではできない。社会の側での協力というか、それに応じる体制を必要とする。ここでのつまりは社会という日常場での戦争同意体制と闘う道がある。地方自治体・職場・学校・家という場での日常的なところに浸透してくる戦争同意の動きと闘うことである。今度の議論をみていて僕はあらためてその必要を感じた。今から権力の側の戦争同意体制形成の動きと永続的な闘い(抵抗)の局面に入ったことを認識し、その抵抗方法の検討も含めて僕らは進むしかない。でもそこは広大な闘いの場であるが、これまで考えられなかった道もあるのだと思う。長い射程と広がりの中で戦争を否定する非戦の道を創り出して行くことは可能であり、それを考え抜こう。考え、行動し、また考える。それを繰り返そう。ヒントは歴史の中にあるはずだ。明治維新後、日本の国家権力は国民の戦争への同意を獲得するために、長い時間の中で社会への浸透を図ってきたのであり、この過程を見れば自ずと抵抗の道も見えてくる。彼らがどのように戦争に同意するように国民意識を変えようとしてきたか、それに抵抗する部分は何で、どこで敗北したか、この歴史を知ることで、僕らの未来の闘いの道は見えてくる。そこに可能な道も見えてくるし、創りだせるはずだ。

 集団的自衛権の官邸前抗議行動が終わって少し経った頃から、雨が降ったりやんだりして、夕方の官邸前行動を危ぶんでいた。そうしているうちにベルギーのジャーナリズム志望の学生さんたちから取材を受けた。学生さんたちしては本格的な取材のようでこちらもそれに対応した。第二テントで取材を受け、久しぶりにテントのことを振り返りながら、先の話もした。そのうちに官邸前抗議行動もはじまり、彼らもそちらに向かった。何となしに騒がしかったが、気持ちの充実した一日だった。官邸前抗議行動も雨のぱらつく中であったが、緊張もあり良かった。(三上治)

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