本日の東京新聞夕刊の匿名コラム「大波小波」に、映画プロデューサー伊地知啓氏の追悼特集を組んだ『キネマ旬報』についての論評が掲載されていた。
懐かしの相米慎二監督『お引越し』が取り上げられていた。思わず目線が止まった。もう一度観たくなった。
藍川京、櫻木充、館淳一、牧村僚、睦月影郎『蜜悦』(双葉文庫 2008)を読む。
「書き下ろし官能アンソロジー」となうっており、それぞれの作家の得意分野の作品が並んでいる。
この一週間の疲れのため、あまり集中できなかった。
本日の東京新聞朝刊一面に、沖縄辺野古基地の工事再開が報じられていた。今年の2年生は沖縄への修学旅行が予定されているので、丁寧に解説してみたい。
沖縄は太平洋戦争で唯一地上戦の舞台となったところで、米軍が占領した日本の基地が、戦争が終了してもそのまま米軍の基地として残ることになった。皆さんも中学校の日本史で習ったと思いますが、沖縄はサンフランシスコ平和条約締結後も、米国の施政権下に置かれ続けました。1972年に本土復帰を果たしますが、0.6%しかない沖縄の地に日本国内の米軍基地の75%が集中する事態は変わらないままです。
ではなぜ、米軍は沖縄にこだわるのでしょうか。次の地図をみてください。
沖縄は、米国が最も警戒する中国や台湾、北朝鮮に睨みを効かせるのに絶好の場所にあります。グアムやフィリピン、韓国、本州各地の基地と連携しながら、中国全土にいつでも戦闘機(航続距離約5,000km)を飛ばせる距離に位置します。
沖縄には嘉手納基地と普天間基地の2つの米軍の空港があるが、普天間は住宅街に隣接しており、1996年に日本に返還すると日米両政府が合意しています。しかし、その移設先を巡って、日本政府と沖縄県の間で話し合いや裁判が繰り返されています。沖縄県は、県内に米軍基地があることがそもそもおかしいことであり、最低でも県外に移すべきだという考えです。一方、日本政府は日米安保条約や日米地位協定に基づき、米軍基地を日本側で整備すべきだという考えを崩していません。そこで沖縄県名護市の辺野古に移すと政府は一方的に決定し、強引に工事を進めています。
しかし、沖縄に米軍基地があることに、私は意味があるとは思えません。中国の脅威や東アジアの安定といった面を政府は強調しますが、米軍基地が沖縄県民の生存権を脅かしていることは明らかです。憲法9条だけでなく、憲法25条にも違反しています。憲法を逸脱する政治をゴリ押しする日本は、果たしてまともな法治国家と言えるでしょうか。
久しぶりの高校生活は如何だったでしょうか。
教科担当にとっては、授業ができる嬉しさの反面、肉体的な疲れがどっと出た4日間でした。
おそらくはマスクをしているので、余計に大声を出そうとし、幾分酸欠状態になっているのが原因だと思われます。もう少しの我慢でしょうか。
本日の東京新聞夕刊より。
こうした新聞記事を読んでいく際に、世界史の知識があると理解が深まっていきます。世界史は大航海時代から始まり、来週にもスペインによる南米進出の話に入っていきます。南米ではサトウキビのプランテーションに西アフリカの黒人奴隷が大量に送り込まれていきました。それとほぼ同じ形で、イギリスは北米の綿花のプランテーション農場に黒人奴隷を大量に送り込んでいきます。そしてコットンベルトとよばれる米国南東部では、黒人奴隷を酷使することで、いち早く繊維の機械化に成功した英国に綿花を輸出し外貨を稼いでいました。一方五大湖周辺や西部では工業化が進展し、英国や黒人奴隷とズブズブの関係にある南部とは異なり、米国の独立と工業の発展のために、人種の別を設けることに異論が出るようになりました。こうした軋轢が、やがて南北戦争へと繋がっていきます。
記事にある赤い国旗は、黒人奴隷を容認する南部の「アメリカ連合国」の国旗でした。つまり、赤い南軍旗を掲げるということは、黒人をあからさまに差別すると公言するようなものです。国旗というのは、単に一つの独立国を示す記号的側面だけでなく、その国の政策や方向性を賛美する意味合い象徴的な意味合いも含まれます。米国の闇を現大統領が容認しているのもおかしいと考えます。日本でも戦時中に軍旗として用いられた旭日旗の問題が、何度も蒸し返されます。旗を掲げる政治的意味合いにも注意を払っていくべきですね。