月別アーカイブ: 2020年6月

『遠山啓のコペルニクスからニュートンまで』

遠山啓『遠山啓のコペルニクスからニュートンまで』(太郎次郎社 1985)を読む。著者は1944年から1969年までの25年間、東京工業大学で数学教育に携わってきた。市民のための数学教育という立場から、数学のための数学ではなく、物理学や天文学を理解するために発展してきた数学に焦点をあてている。ガリレイの地動説やニュートン力学、相対性理論などは、それ以前の三角関数や微分積分などの発展がなければ発見されなかったと言っても良い。

大変丁寧な解説で、「f(x)=y」であらわされる関数そのものの意味をしっかりと理解することができた。

「食害バッタ 非情の東進」

本日の東京新聞朝刊に、中国では「蝗害」と呼ばれる、サバクトビバッタの大量発生の模様が詳細に報じられていた。地図にもあるように、インド東部は世界第一の稲作地帯で、世界の米の輸出の3割弱を占めている。幸いにも新型コロナウイルスで、アジア系の人たちの死亡率は欧米の数十分の一だが、穀物の被害は甚大な影響が予想される。旧約聖書「出エジプト記」にも、大量のバッタがエジプトを襲う場面がある。北半球ではこれから夏を迎えるので、インドを越えて、バングラデシュやミャンマー、ブータンへの被害も予想される。最近ネットニュースでも目にするようになった昆虫食に応用できれば良いのだが。

『勉強の哲学』

千葉雅也『勉強の哲学:来たるべきバカのために』(文藝春秋 2017)をパラパラと読む。
デゥルーズやガタリなどのフランス現代思想の切り口で、そもそも学ぶということの意味を深く掘り下げていく。そして、勉強することで他者との関わりを問い直すことで、言語を媒介とした認識を新たにしていくことを「来るべきバカ」の状態と定義する。

最後の章では、入門書の読み方やクラウドサーバーの使い方など、実践的な勉強方法を指南する。都合の良いところだけ引用しておきたい。

信頼できる著者による紙の書物は、検索して上位にすぐ見つかるようなネットの情報よりも信頼できる。この態度を、勉強を始めるにあたって基本とすべきです。「まとも」な本を読むことが、勉強の基本である。

読書と言えば、最初の一文字から最後のマルまで「通読」するものだ、というイメージがあるでしょう。けれども、ちょっと真剣に考えればわかることですが、完璧に一字一字全て読んでいるかなど確かではないし、通読したにしても、覚えていることは部分的です。
通読しても、「完璧に」など読んでいないのです。
ならば、ここからだんだん極論へ行けば、拾い読みは十分に読書だし、目次だけ把握するのでも読書、さらには、タイトルを見ただけだって何かしらのことは「語る」ことができる。(中略)
バイヤールによれば、読書において本質的なのは、本の位置付けを把握することです。(中略)
勉強を深めるには、多読というか、通読はしなくてもたくさんの書物を「知る」必要があります。頭なのなかにブックマップをつくる-この書物Aは、Bの影響を受けている、Bの結論はCと対立している、というような位置関係を説明できるようにする。そうすることで、ある分野の森を見渡すことができるようになる。

『パラサイト 半地下の家族』

何ヶ月かぶりに、春日部イオンシネマで、ポン・ジュノ監督・脚本『パラサイト 半地下の家族』(韓国 2019)を観た。第72回カンヌ国際映画祭パルム・ドールの受賞のほか、第92回アカデミー賞では作品賞・監督賞・脚本賞・国際長編映画賞の最多4部門を受賞した、韓国映画最高評価の作品である。『JSA』のソン・ガンホが主演を務める。

面白い映画だった。格差や社会的分断などの重いテーマを扱うが、テンポの良いドタバタコメディーで最後までスクリーンに釘付けだった。1990年代以降、一気に先進国の仲間入りをするまでに駆け上がってきた韓国の闇が丁寧に表現されている。戦後の日本の陰を描いた江戸川乱歩の小説のような雰囲気のある映画だった。

劇場を出て、華やかなショッピングモールに足を踏み入れた途端、日本社会だけでなく、自分自身も一皮剥けば、陰鬱な過去が広がっているのではという思いに捕われた。

『一気にわかる! 池上彰の世界情勢 2016』

池上彰『一気にわかる! 池上彰の世界情勢 2016』(毎日新聞出版社 2015)を読む。
「毎日小学生新聞」で連載されていた記事に加筆・編集を加えたもので、子どもに言い聞かせるように、テロや中国情勢、アメリカ、ヨーロッパ、難民、日本経済について語る。よく勉強している人ほど、細かい内容を理解しているので、初学者に対しても分かりやすく語ることができるのだと改めて実感した。少しずつでも真似していきたい。