鄭大均『在日韓国人の終焉』(文春新書 2001)をパラパラと読む。
大昔に研究収録を書くために購入した本である。冒頭部に結論が書かれており,一貫してタイトルにもある通り,在日2世である著者が,自身の帰属と絡めて,在日韓国人の日本への帰化を促す内容となっている。在日朝鮮人が総連を通じて北朝鮮への国家意識を強調する一方で,民団は韓国への帰属をあえて促すことはしていない。そうした南北の姿勢の違いを踏まえ,著者は次のように述べる。
本書で私は在日韓国人はそろそろ日本国籍を取得していい時期にきているのではないかと記している。今日の在日韓国人に見てとれるのは,韓国籍を有しながらも韓国への帰属意識に欠け,外国籍を有しながらも外国人意識に欠けるというアイデンティティと帰属(国家)の間のずれであり,このずれは在日韓国人を不透明で説明しにくい存在に仕立て上げている。
例えば,二世の親は三世の子どもから,なんで自分は日本で生まれたのに日本人ではないのかと訊かれたとき,それに答える準備があるのだろうか。今日の在日家族の中心にいるのは二世の親たちであるが,韓国は彼らにとっても帰属意識や共属感情が作用する地ではない。にもかかわらず,韓国籍を維持しているのはなぜか。韓国籍を維持しているということは,私たちが韓国と運命をともにすることを意味するものであり,実際私たちの日本における処遇は韓国政府と日本政府の協議に任されてきたのであるが,帰属意識もない国に自らの運命を託すという態度を,私たちはどのように説明したらいいのか。そのことが説明できるのかどうかということである。
ではどうしたらいいのか。在日韓国人はそのアイデンティティに合わせて帰属を変更すればいい。つまり,私たちは日本国籍を取得して,この社会のフル・メンバーとして生きていけばいいのであり,そのために必要なら国籍選択権を主張し,帰化手続きの弊を批判すればいいのである。在日韓国人が日本国籍を取得することは本国の韓国人との間に対等で透明な関係を築くためにも好ましいものであろう。
在日韓国人が日本社会のフル・メンバーになるということは一方では日本社会の多元化や多様化にとっても好ましいものであろう。少子化や高齢化が進行する日本は今や移民や外国人労働者を積極的に受容していい時期にきているという意見がある。しかし,その前に解決すべきは在日の国籍問題であり,コリア系日本人の誕生は日本社会の多元化のとっかかりになるものであろう。
著者は,移民や外国人労働者受け入れを前に在日韓国人の問題をクリアーにすべきだと述べているが,すでに移民や外国人労働者の問題に直面している以上,在日韓国人の問題は過去のものになってしまった感がある。
私自身,何が正解で何が間違いなのか,見当がつかない。子どものような発想だが,日本人も韓国人も朝鮮人も中国人も,全員東アジア人だというアイデンティティを持ちえないのであろうか。