日別アーカイブ: 2018年11月6日

「復旧加速 揚水発電に光」

本日の東京新聞朝刊に、9月の北海道の全域停電に際して、揚水式の北海道電力京極発電所が復旧に大きな役割を果たしたとの記事が掲載されていた。揚水式発電所というと原発の補完的な設備であり、夜間にだぶついた電力で揚水し、昼間に放水して発電し最大需要に応えるといったものだと思い込んでいた。森林の破壊もあり、全く考慮する余地のないものだという認識だった。

しかし、記事によると、上下2つのダムで構成し、下のダムからポンプで水をくみ上げれば蓄電池に、上のダムから放水すれば発電所に早変わりする揚水式発電所は、太陽光や風の強さによって出力が不安定となる再生エネの「波」を整え、電力の需要と供給を一致させる強力な武器となるという。

札幌近郊にある京極発電所では、昼間に余った太陽光の電力で水をくみ上げ、上のダムに貯水し、日が暮れて太陽光の発電が落ちる夕方になると、上野ダムから放水して発電し、需要が増える夕方の電力供給の一割を賄った。石炭火力や原発は出力の調整に時間がかかるのに対し、最新の揚水式の京極は、わずか3分でフル稼働することができ、電力需要に細かく対応することが可能である。

大規模な風力や太陽光の発電所は、蓄電池で安定させてから送電網に接続する必要があるが、この揚水式を活用することで、すべての再生可能エネルギーの受け入れが可能になった。

詳細については触れられていなかったが、夜間電力の活用とは真逆のシステムが構築され、更なる運用が検討されているというのは評価したい。

「伝えたい 福田村事件」

本日の東京新聞朝刊に、1923(大正12)年の関東大震災後、千葉県福田村(現野田市)で香川県から来た行商団が地元の自警団に暴行され、9人が殺害されたという「福田村事件」に関する講演会のお知らせが掲載されていた。

講演を行う辻野弥生さんの著書『福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇』(崙書房出版)によると、1923年9月6日午前10時ごろ、関東一円で薬を売りながら、茨城県に向かおうとしていた香川県の被差別部落の行商団15人が福田村三ツ堀の香取神社で休憩した。震災後の混乱で「朝鮮人が放火した」「朝鮮人が来襲する」などの流言飛語が流れ込み、福田村と隣の田中村(現千葉県柏市)の自警団が行商団を尋問。四国地方の方言が理解できず、朝鮮人と疑い9人を殺害したとされる。
犠牲者の中には2、4、6歳の幼児3人もいた。妊娠中の23歳の女性も殺害され、胎児を含めると犠牲者は10人ともいわれる。

福田は首都圏にありながら利根川沿いの田舎風景が広がるのどかな地域であり、100年近く前に陰惨な事件が起きたとは想像もつかない。辻野さんの「『あった』ことを『なかった』ことにはできない。知って、語り継がねば」という言葉が印象に残る。