星野芳郎『技術と文明の歴史』(岩波ジュニア新書 2000)を読む。
第二次世界大戦の原因について次のように述べる。
ところで、国を越えての基本的人権が(戦後)明確に打ちだされたからには、第二次世界大戦以前からのイギリスやフランスの植民地支配は、植民地住民にたいする人権侵害そのものではないかという問題が、ただちに生じます。そもそも、イギリスとフランスが、自国では基本的人権の重要さを謳いながら、国の外では武力によって世界各地の住民を支配し、そこから膨大な利権を吸い上げたことに、第二次世界大戦の遠因があります。それがドイツや日本を刺激し、彼らも同じことをしようとしたところ、イギリスやフランスやアメリカに妨害されたのです。それで彼らのナショナリズムが燃え上がったのです。そのナショナリズムが国内の人権に圧倒的に優先し、国外に押し出されたことが、第二次世界大戦の直接の原因です。
また、日中戦争中、日本軍は、中国の共産党(八路軍)と民衆が結びついた河北の解放区を攻撃する際に、殺光(殺し尽くす)、焼光(焼き尽くす)、搶光(そうこう)(奪い尽くす)の三光作戦を展開する。著者はその点について次のように述べる。
日本軍は国を裏切った一部中国人も軍隊に加え、270余の戦闘をかさねて、この解放区をほとんど占領しました。住民の死傷者や捕虜は5万人を超えました。解放区は格子状に1635の地区に分割され、中国人を使って、それぞれに到達する軍事道路をつくりました。その総延長は3000キロを超えました。各地区の連絡ができないように、中国人に命じて地区間にクリーク(溝渠)も作らせました。その総延長は300キロに達しました。そうでもしなければ、日本軍は解放区からの中国軍の出撃を防げず、中国の鉄鉱石や石炭を日本に送るという任務を果たせなかったのです。
日本軍は、こんなふうに次々と解放区を占領しました。住民の半ば近くは難民となって、解放区から外部に逃げ出しました。三光作戦が開始されたときのそれら解放区の人工は全部で1億人も遭ったのですが、それが5000万人に減り、八路軍の兵力も50万人から30万人に落ち込みました。1938年以来から数えれば、全国の80の解放区で殺された者の総数は300万人、消失した家屋は1780万戸に達したと、1946年に中国の『解放日報』は報道しました。解放区の損害だけでも、日本人がこうむった無差別攻撃のや原爆投下の比ではありません。全ては、戦争が日本の国土の中でなく、中国の国土の奥深くで行われたことに起因しています。他国に侵入すれば、住民は自国の軍隊とともに必ず反撃します。そうすれば、日本人はこのような残虐行為をやらざるをえなくなるのです。
憲法第9条での「戦争の放棄」とは、このような戦争を二度としないという、世界に向けての日本人の決意表明のはずです。日本人自身のいましめでもあります。極東軍事裁判でも、土肥原賢二大将は在満特務機関長として、板垣征四郎大将は中国派遣軍総参謀長として絞首刑の、梅津美治郎大将は関東軍司令官として終身禁錮の判決を受けました。それぞれ中国に対する侵略戦争の責任を取らされたのです。
ところが大部分の日本人は、日本軍が中国でこんなふうに戦争をしているとは知りませんでしたし、現在でもあまり関心がありません。日本とアメリカとの戦史はたくさん出版されていますが、中国との戦争については寥々たるものだということが、それを証明しています。それだけに、戦争放棄の条項は、日本人にとって、現在は言うまでもなく、将来とも大きな重みをもっていると、私は思います。