日別アーカイブ: 2017年4月10日

「共謀罪」に対する闘いの意味するもの

以下、「経産省前テント広場」のメーリングリストより転載

◎4月7日(金)「共謀罪」に対する闘いの意味するもの

 村上春樹の『騎士団長殺し』には1930年代の暗い事件が登場する。この小説にとってこの事件の登場が何を意味するかを論じるのは難しいのだが、とても印象深いところだ。一つはドイツ(ヒトラー)によるオーストリア併合に絡んだナチ高官殺害事件である。これには「騎士団長殺し」という絵の作者である雨田具彦が、若い日のオーストリア留学時に関係する。彼は、オーストリア人の恋人と共にこの事件連座し、ドイツの秘密警察に逮捕され、強制送還される。もう一つ、弟の雨田継彦が1937年の南京虐殺事件に参加し、後に自殺する件である。1930年代の暗い二つの事件を何故に村上春樹は、この作品に登場させたのか。この作品を読みながら思いめぐらしたが、昨今の状況があの不安な1930年代に似ていることへの危機感と、それに対する村上のメッセージのように思えた。

 「戦争のできる國」へと国家が舵を切ったことは、今や多くのひとが感受するところだが、それは国家権力による自由や民主主義(国民の自由や発言や行動)の制限や抑圧と関係している。これは最終的には、憲法の改正(権力を縛る憲法の改定)になるのだろうが、実質的に、それをあらわす法案が出てくる。憲法解釈の変更や安保法案(戦争法案)であり、特定秘密保護法案である。そして、今、「共謀罪」法案が国会に上程されている。1930年代を想起させる国家権力の動きがみられるのだ。戦争のみならず、国家権力の所業を経験した人たちが、危機感を持って当時のことを語る、それをよく目にする。戦中派(戦争経験のある人)の人々の書き遺しである。作詞家であるなかにし礼は『夜の歌』で満州国から引き揚げを含めた自己の生涯を込めた作品を書いている。これは一例だが、多くの人が歴史的証言として、それを遺している。

 「共謀罪」法案、この法案の趣旨は明瞭ではない。その目的にとってつけたように、テロ防止を付け加えているのは、そのことを示している。テロやその防止について政府は明確な(国民が納得できる)説明をしたことは、これまで一度もない。反テロ戦争に加担してアフガニスタンやイラクに自衛隊を派遣したが、その総括もない。反テロ戦争とは何だったのかの説明をしたこともない。テロといえば、誰もが反対できない。反対するのは難しいから黙っている。テロが、なにをさし、どのように起こるのかの説明はできていないのだ。オリンピックを掲げるが、それとテロとの関係など、何一つ明らかにしていない。

 政府筋にとって、ことは明確なのだ。戦争と国家権力強化(自由、民主主義、国民主権の制限や抑圧)なのだ。僕らは、戦争と、自由や民主主義の抑圧の歴史を、フランス革命の時代から見ている。1930年代のファシズム(全体主義)は、それが極端にあわわれたが、連合国(ファシズムに対抗した国家連合)の側にも、程度は違うが、同じことが存在したことはいうまでもない。この国家権力の再編と強化が実質的に進められるのは、官僚機構(法務省・軍・警察等の統治系の機構)においてである。今、「共謀罪」法案を通そうとする政治家たちは、それが機能しはじめるころにはいないだろう。「共謀罪」法案が良くなかったと、後で悔やむ人が多いのかも知れない。

 昨日は日比谷公園で「共謀罪」に反対する集会に多くの人が集まった。この動きは今後、より大きな声となっていくだろう。「共謀罪」法案は多くの人が指摘するように「治安維持法」を想起させる。「治安維持法」ができたのは大正15年(1925年)である。1920年代は、もちろん、1930年代、とりわけ15年戦争と呼ばれている中国大陸での戦争が激化し始めたのころに、この法律が強く機能した。これを制定した時代の内閣は、拡大適用に警戒的であったと語られるが、こんなことは、ちっとも作用しなかった。今、政府の説明も同じである。少しでも通りのいい言葉で飾るだけである。何故だろうか。

 ここには、近代の日本で法(憲法)がどのようなものとしてあったのか歴史がある。法(とりわけ憲法)は、国家権力の権力行使を制限するものであり、それを抑制するものであると語られる。これは国民主権の意味であり、これが普通の憲法の常識である。日本では、これは憲法の条文の中には存在しても、現実には存在しなかったことである。日本は明治維新を経て憲政国家になったというが、日本では憲法が国家の根本法になったのではない。広辞苑にはそう規定されている。だが、そうではない。国民の意識(意志)が権力の専制的恣意的行為(暴走)を制限し、縛るものとして、憲法が存在しなかった。憲法は、国家支配権力の統治のための道具であった。アジア法治思想(法家の思想)に基づく法思想(法についての考え)が支配的であり、憲法もそのように扱われてきたのだ。

 かつて、三島由紀夫は「治安維持法」は不敬罪にあたると批判した。彼は天皇制の擁護者であり、体制擁護派と目されていたのに「治安維持法」を、このように批判した。これは「治安維持法」が「大日本帝国憲法」に違反していたというように読める。でも、「治安維持法」が「大日本帝国憲法」と矛盾するものであるという指摘はなされなかった。これは「大日本帝国憲法」が普通の意味の憲法の条件(存在の意味)満たしてはいなかったことであり、憲法という言葉の書かれた法の体系(憲法法律)はあったにしても、憲法(憲法を憲法にする精神としての憲法、あるいは思想としての憲法)は存在しなかったことを意味した。

 戦後憲法は「治安維持法」の存続を否定したが、憲法を憲法たらしめた結果であったかといえば、そこには疑問が残る。憲法についての認識が、戦前の憲法の反省に立って一変したか、というと疑問があるからだ。日本帝国憲法の改正としての日本国憲法の成立には、憲法についての認識の革命(国民主権への憲法観の転換)が起きたとは考えられないからだ。確かに、戦後憲法の前文には、国民主権のことは書かれているにしても、支配層も含めて憲法観の転換が起きたとは思えないのだ。国民主権は憲法の前文という条文のなかに存在するだけだ。

 僕らは、政府や官僚層の憲法観(国家権力の統治の道具としての憲法)に危惧し、不安を抱いてきた。そういう法観伝統(法律は、国民を支配する道具として存在するという伝統)があることに不安をもってきた。そういう憲法観においては、憲法は、国家権力(政府や官僚)の暴走を歯止めするものではない。戦前にはそこに上乗りするように「治安維持法」があったのだが、現在は、そこに憲法違反ともいうべき治安維持法に匹敵する「共謀罪」法案が出てきている。だから、問題は二重なのだ。憲法に違反するような法案がでてきていること、それにもう一つ、権力の超権力的所業(専制的・抑圧的振舞い)を歯止めする憲法観がないことである。ここに共謀罪提出に対する本当の不安と危惧がある。

 人々の自由を侵犯する「共謀罪」法案を、法として認めないのは当然だが、これへの異議申し立ての中で、僕らは日本の憲法観を変えていくこと、それが同時に必要なことを自覚しなければならない。立憲主義の擁護というのは、それを表す言葉である。「治安維持」(テロ防止)に名を借りた抑圧法としての「共謀罪」法案に反対する。同時に、この闘いが、憲法観を創り出す、自由と民主主義を存在させる革命的な運動でもあることを自覚しなければならない。自由と民主主義など日本にはない。憲法観がないように。それらは僕らの意識や現存感覚にあるだけで、それは現在から未来に向かって創りだされていくものなのだ。

 憲法違反の共謀罪を葬ると同時に、真の憲法観を創り出していくことを意識していなければならない。憲法にまつわる運動や闘いが抱える複雑な日本事情だが、ここを自覚していなければならない。共謀罪法案対する闘いは二重の意味で憲法をめぐる闘いである。一般的な意味での自由や民主主義の抑圧法である共謀罪法案はその法案を葬ることで憲法を守るたたかいだが、その過程で憲法観を創り出すことであるという意味での憲法のための闘いである。自由と民主主義を生み出して行く、つまりは憲法観を生み出して行く闘いでもあるのだ。これは「共謀罪」法案に反対する運動に内包される希望だが、この希望は自覚されてあることで、はじめて生きるものだ。
(三上治)