月別アーカイブ: 2017年1月

『ザ・クレーター』

手塚治虫『ザ・クレーター』(秋田文庫 1994)を読む。
1969年から1970年にかけて、「少年チャンピオン」に連載された短編作品である。話の内容も、地域、時代も全く異なるが、ほぼ全ての作品でオクノリュウイチなる青年男性が主人公として登場し、人生の不条理なるものが様々に形を変えて語られる。
その中に死んだ女性が同年代の男性の心と入れ替わる『オクチンの奇怪な体験』という話がある。男性トイレに女性の心のままで入ってしまい恥ずかしがるシーンや、外見は活発な男の子なのに行動はお淑やかな女の子なので周囲の誤解を招くシーンなど、ちょうど先日見た『君の名は。』に設定が良く似ていた。手塚治虫氏が卓越しているのか、新海氏が参考にしたのかは不明だが、他の作品も含め、生死の境目や、人生の選択、記憶の不思議というものを考えさせる内容であった。

大島新田調整池

 

午前中、マウンテンバイクで倉松公園の先にある大島新田調整池をぐるっと回ってきた。
途中、NPO法人杉戸町総合型スポーツクラブすぎスポのスポラジコン飛行機という団体が、ラジコン飛行機を飛ばしていた。平均年齢65歳くらいの男性が嬉々としてコントローラーを操作していた。車の中でつまらなさそうに待っている対照的な奥さんの姿が印象的であった。「いい歳したおっさんが…」とも思うが、男はいつまでも男の子なのである。

『君の名は。』

栃木にあるおやまゆうえんハーヴェストウォークまで、新海誠監督・原作・脚本・絵コンテ・編集・撮影『君の名は。』(東宝 2016)を観に行った。夜8時の回だったのに、半分以上の座席が埋まっていた。
夫婦二人だけで鑑賞したのだが、一体何年ぶりであろうか。上の子が生まれる前は観に行っていたので、10年以上になるであろうか。たまには、夫婦だけで鑑賞後に感想を伝え合うも良いものだ。あわよくば素面で観たかった。

4ヶ月前に観たばかりだったのに、話の結末も分かっているのに、最後は涙がこぼれんばかりであった。1回目は娘と一緒に観に行ったので、泣いている姿を見られると恥ずかしいと何とか堪えたが、今回は素直に画面に集中することができた。
2回目だったので、瀧くんと三葉の入れ替わりがすんなりと理解することができ、また、二人の本物の時の表情と、入れ替わった時の表情が決定的に違うことに気づいた。背景だけでなく、人物の描写も細かい。
もう一度観たいと思う作品であった。

『プラナリア』

第124回直木賞受賞作、山本文緒『プラナリア』(文藝春秋 2000)を読む。
表題作の他、1999年から2000年にかけて雑誌に掲載された『ネイキッド』『どこかではないここ』『囚われ人のジレンマ』『あいあるあした』の4編が収められている。
仕事に追われている普段なら、「女性特有の身体感覚に根ざした日常生活への違和感など分かるか!」と受け入れを拒否しそうだが、精神的に余裕があるためか、素直に作品世界に世界に没入することができた。
一つひとつの作品はそれぞれ別個の物語なのだが、群像劇のように5編の作品が重なりあっているようにも読める。ちょうど山手線の駅のようにそれぞれ雰囲気の異なる作品が繋がっているとでも言えば良いだろうか。