矢野桂司『地理情報システムの世界:GISで何ができるか』(ニュートンプレス 1999)を読む。
1990年代後半に普及を始めたデジタルデータの地図情報の歴史や基本操作、表計算ソフトや国税調査などのデータを組み合わせた応用活用など、地理学を学ぶ大学生の入門書となっている。ボロノイ分割やH・ホテリングの「海岸のアイスクリーム売り」など、マーケティングと地理情報の話が興味深かった。途中、GISソフトの操作方法などはさっと読み飛ばしたが、Google MapやGoogle Earthなど一連のGoogleソフトが公開される前夜における、地図とビッグデータの組み合わせによる新しい世界への興奮が読者にも伝わってきた。
地図とデータの関連性から社会を見るという地理学の根本姿勢に触れることができた。関連する書籍にあたってみたい。
月別アーカイブ: 2014年4月
『EARTH』
『現代地理学入門』
高橋伸夫・内田和子・岡本耕平・佐藤哲夫『現代地理学入門:身近な地域から世界まで』(古今書院 2005)を読む。
創価大学から送られてきた「人文地理学」のテキストである。大学の地理学の授業で使われる入門書である。
地理学という学問が対象とする範囲の広さに改めて驚いた。
著者の一人である高橋氏は、「人びとが自然環境あるいは土地資源を活用し、長い歴史の間にあらゆる営為と知恵を土地に刻みこんだもの」を読み取る視点こそが地理学であり、地理学を学ぶことで、「いかなる土地へ行っても地域性を見い出す力が備わり、地域の現状と将来の発展が予想できる」ようになり、「人間と自然との共生はいかなるものか」理解できるようになると述べる。
章立てを並べてみるとその扱うスケールの大きさが窺い知れる。第1章から第12章まで次のタイトルで構成されている。「地図に親しむ」「身の回りの景観」「フィールドを歩いて地域を調べる」「環境の変化と高潮被害」「人口の地理学」「日本の産業に何が起きているか」「都市とは何か」「都市と農村」「観光・余暇の地理学」「人とモノの流れ」「GISって何だろう」「マイノリティ地理学から批判地理学へ」
最後の章「批判地理学」で、大阪市立大学の水内俊雄氏は、大阪の「あいりん地域」の実態に触れながら、都市の貧困現象や社会の底辺の問題に対しても踏み込んだアプローチをすることがこれからの地理学に求められると述べる。
大阪市の様々な諸集団、マイノリティに属すると思われる人びとの状況を、都市の貧困という表現でくくるのことは必ずしも正しくはない。いろんな機会やサービスを受けることに障害があったり、あるいは要望や意見の主張に関して社会的、歴史的な制約を受ける社会的排除や地理的に不利な空間を占めざるを得ない。あるいはそこに封じ込まれてしまったという空間的排除の現象を起こしやすいことが真相であった。この社会的排除や空間的排除は、どうして排除が起こるのか、というメカニズムや社会的構造に深く踏み込む思考をわれわれに提供してくれる。
フクシマの現状に照らして考えてみると、この水内氏の指摘は興味深い。なぜ原発を交通の不便な福島県に作ったのかという点から議論をスタートさせていく必要がある。
『亡国のイージス』
『エーゲ海に捧ぐ』
第77回芥川賞受賞作、池田満寿夫『エーゲ海に捧ぐ』(角川書店 1977)を読む。
表題作の他、「ミルク色のオレンジ」「テーブルの下の婚礼」の2作が収められている。3作品とも文学的なロマンポルノの原作のような内容で、話の脈絡が無く、ただ主人公の男の心理描写と官能小説顔負けの表現が続く。といっても興奮するようなエロスではなく、読んでいて面白い作品ではなかった。
あまり書くことも無いので、小説の中の気になった表現を引用してみたい。
さっきまで立てていたアニタの両ひざも今は前方に延び切って、脚を延ばしたまま、彼女の地中海を私の方に向けて思いきり拡げている。地中海の先端の秘密の岬が陽光をあびた蜜のように、なめらかに光っているのが見える。(「エーゲ海に捧ぐ」)
ナオミは私の方を用心深くうかがいながら、下唇を小さな歯で少しかんで見せると、不意にあお向けに上半身をのけぞらせた。そしてそのままの状態で立てたままの両膝を私の方に向って思いっきり開いてみせたのだった。光の帯が一つが少女の開かれた太腿の付根の間を泳いだ。光の粒がうっすらしたヘアーの上で反射し、幾分黒っぽくなりかけている外側の襞の奥に、赤みを増した彼女のみだらな領域が舌でも出したようにきらきら輝いていた。(「ミルク色のオレンジ」)
私の方はテーブルの低すぎる天井に頭部を抑えられたまま、すっかり自信を回復した太陽の子を、薄い毛で覆われた果実の密の中へ挿入するというわけだ。(「テーブルの下の婚礼」)