千葉経済大学のパンフレットを読む。
千葉経済高校を経営する千葉経済学園が1988年に開設した比較的新しい大学である。経済学科と経営学科の2学科からなる経済学の単科大学で、全学で1000人の小規模の大学である。西千葉駅から歩いて13分にキャンパスがあり、千葉県民にとっては通いやすい位置にある。
パンフレットを見ると、この手の大学にありがちな教育内容で、英語やパソコンなどの基礎教育の充実、演習などの少人数教育の徹底、就職や資格取得のキャリア教育の重視など、丁寧な学生サポート体制が前面に押し出されている。大手の大学とは異なる特徴を出そうとすると、上記のような戦略を取らざるを得ないのだろう。
ベースが商業高校のためか、国際云々や文化何たらの類いのプログラムは陰を潜め、カリキュラムはいたってシンプルである。
学生の課外活動のための貸し出しのワゴン車が6台も用意されているのは便利だと思った。
月別アーカイブ: 2008年9月
大学案内研究:日本橋学館大学
日本橋学館大学のパンフレットを読む。
1987年に開学した日本橋女学館短期大学が、2000年に男女共学の4年制大学に改組されて誕生した新しい大学である。柏から歩いて20分のまあまあ便利な所にある。
総合経営学科と人間心理学科、そして総合文化学科の3学科からなる単科大学である。授業についての説明はあまりなく、パンフレットの冒頭も一人暮らしや柏タウンマップが飾られている。
一学年二百数十名の小規模な大学で、良くも悪くも高校の授業の延長のような雰囲気のある大学である。教員も高校の担任のような役割を担っているのだろう。保護者の向けのパンフレットも同封されており、保護者対象の進路個別相談会も毎年次開かれている。また履歴書添削や模擬面接などもパンフレットに謳われており、特に高校を卒業して一人暮らしを始める子どもを持つ保護者にとって安心感のある大学である。
遠隔地出身者には一人暮らしのための住宅費補助や、兄弟姉妹が在学もしくは卒業していれば入学金が半分になるなどの珍しい奨学金制度がある。
数少ない体育会系クラブ対象のスポーツ特待生入試があり、そこにあまりメジャーではない「少林寺拳法」が入っていたことに少し違和感を感じた。
『奉教人の死』
芥川龍之介短編集『奉教人の死』(新潮文庫 1968)をぱらぱらと読む。
先日の吉田精一氏の分類で、「切支丹もの」に属する作品集である。しかしキリスト教の教義を宣伝するような内容ではなく、キリストという絶対善と俗人の悪、引いてはヨーロッパと日本の対比を浮かび上がらせるような作品が多い。それらの中で、表題作の『奉教人の死』と『きりしとほろ上人伝』の2作はきっちりと読んだ。子どもにも分かりやすい童話を読んでいるような感覚である。しかし、どちらも江戸時代の文禄、慶長の頃の文体にならっており、彼の才覚の一端が垣間見える作品であった。
『戯作三昧・一塊の土』
芥川龍之介短編集『戯作三昧・一塊の土』(新潮文庫 1968)を読む。
解説の吉田精一氏の解説の言葉を借りると、芥川の歴史小説を「今昔もの」「切支丹もの」「王朝もの」「江戸期もの」「明治開化期もの」に分けたとき、後半の「江戸期もの」「明治開化期もの」が網羅された文庫である。庶民の生活を淡々と描きながら、明治維新以降の男女平等、民主主義の世の中と、江戸時代の封建制と家父長制に支配された時代感覚との齟齬をあぶり出している。
本日の東京新聞
本日の東京新聞に民主党小沢一郎代表の「国替え騒動」の記事が載っていた。
新聞記事によると、鳩山由紀夫幹事長がテレビ番組で、小沢氏が次期衆院選で立候補する選挙区について「岩手からは出ない」と断言したそうだ。しかし、私は、記事のタイトルの「岩手からは」の「は」を読み落としていて、小沢氏はやはり「岩手から出ない」のかと思いながら記事本文を読んでしまった。何か話の辻褄が合わないなと思い、もう一度タイトルの「岩手からは」を読み返しやっと合点がいった。
「は」という助詞は「出ない」という文末に係ってくる係助詞なのだが、日本語のややこしさ改めて実感した。