戦後63年ということで、長く本棚に眠っていた本を引っ張り出してきた。
ハル・ゴールド著『証言・731部隊の真相:生体実験の全貌と戦後謀略の軌跡』(廣済堂出版 1997)を読む。
タイトル通り、731部隊の歴史の闇に隠された真実を元兵士や軍医の証言などを元に、人を生きたまま解剖したり、生後3日の乳児や妊婦を実験の名目で殺したり、新人兵士に度胸をつけさせるために次々と捕虜を銃殺した事実がはっきりと書かれている。そして、その戦争責任が明らかにされないまま、戦犯の大半が旧厚生省や国立大学の医学部、ミドリ十字などの製薬会社に散っていた経緯までを明らかにしている。
また、先日ベトナム戦争での米軍のダイオキシンを主剤とした枯葉剤についての新聞記事を読んだが、その基礎研究は実は731部隊が行なっていたそうだ。戦後アメリカは、731部隊の戦犯を裁判リストから外すことをバーターとして、この研究成果を引き継いでいる。戦後日本の支配体制と米軍の思惑が一致した結果、アウシュビッツよりもヒドイ日本軍による生体実験や帝銀事件が日本の教科書から一切削除されてきた「歴史」を直視しなければならないだろう。
月別アーカイブ: 2008年8月
パンフレット研究:共立女子大学・共立女子短期大学
共立女子大学・共立女子短期大学のパンフレットを読む。
共立女子大は数年前まで、高尾山の駅から山を登っていく途中にキャンパスがあり、バイクでのツーリング途中で「ここが大学か」とビックリした記憶がある。しかし、昨年から高尾山のふもとのキャンパスを捨てて、全ての学部が神保町の一ツ橋キャンパスに集約され、一気に地の利が向上した。元々伝統のある大学で、授業も充実しているので、これから人気は回復してくるであろう。
「共立」という名前は数名の共立で創立したことに由来し、家政学部、文芸学部、国際学部の3学部に、生活学科、文科と看護学科の短期大学を併設している。短大の方は完全に就職予備校に特化した印象だが、看護学科はかなりレベルが高そうだ。
予備校時代、神保町界隈をほっつき歩いていると、九段坂を歩く共立女子大の学生が輝いて見えたものだ。
パンフレット研究:駒沢女子大学・駒沢女子短期大学
先月、さいたま新都心のコクーンで大学のパンフレットを無料で頒布していたのでたくさんもらってきた。
来年に向けて大学のパンフレットを少しずつであるが読んでみたいと思う。タダで手に入るものであるし、大学での学びも少しであるが垣間見え、装丁も凝っているので読物としても面白い。また大学は少子化によってここ十数年で大きく変貌している。私の大学受験の知識や学生時代に関わった大学というものに対する感覚が、かえって不要な先入観となってしまうことも多い。偏差値や大学ブランドなどの偏見を捨て、一受験生の気持ちでパンフレット研究をしていきたい。
最初は駒沢女子大学・駒沢女子短期大学のパンフレットをじっくりと読んでみた。
パンフレットを実際に読んでみて初めて、駒沢女子大学と駒沢大学が全くの別法人であることが分かった。ホームページで確認すると、駒沢大学系列の駒沢短期大学と駒沢女子大学を取り違えていたようだ。
駒沢女子大学は稲城にある、人文学部だけの単科大学であり、短期大学に栄養と保育の学科を併設している。人文学部とひと括りにされてしまっているが、その中身を見ると、日本文学や日本史などを学ぶ日本文化学科、英語や観光、国際関係のコースのある国際文化学科、心理を含む人間関係学科、建築デザインの空間造形学科、そして映像コミュニケーション学科の5学科で構成される幅広い学部となっている。
短大の方は資格に直結しており、施設も就職状況も良いので人気は集まるであろうが、大学の方はどうだろうか。正直、パンフレットの学科紹介を見る限りでは魅力はあまり伝わってこない。この手の大学は偏差値はあまり関係なく、授業内容よりも、施設や就職課、学生相談室の充実が問われるのであろう。近隣であればオススメである。
「大波小波」
古い新聞記事から。
先月7月24日付の東京新聞夕刊の匿名コラム「大波小波」が気になった。
朝日新聞社発行の『論座」が休刊という事態から、雑誌の世界のおける「右傾化の勢い」を危惧し、さらに『論座』の前身でもある『朝日ジャーナル』を支持した団塊世代が、硬派雑誌にそっぽを向いているだけでなく、社会そのものから目を背けている現状を憂えている。おそらくはこの文章を書いている当人も50代後半なのだろう。
朝日新聞の硬派オピニオン誌『論座』が9月1日発売予定の10月号をもって休刊するという。「雑誌不況の波は看過しがたく、インターネットという新しいコミュニケーション・ツールも浮上するなかで、従来の総合誌という形は一定の役割を終えた」と休刊のあいさつで薬師寺克行編集長は書いている。
しかし、そんな状況は、雑誌メディア全てが直面する宿命ではなかろうか。たとえ赤字であっても社の顔として死守する気があるのかないのかが問題である。残念ながら『論座』はその器にあらずと判断されたらしい。問題は一雑誌の休刊に留まらない。『正論』『諸君!』という保守派の論壇誌に対抗する、リベラル派の布陣の一角が消滅するのである。
残るリベラル派は『世界』だけか。こうなると各紙の論壇時評の担当者はネタ不足、というよりネタの偏向に悩むことになりそうだ。右傾化の勢いはいよいよ止まらない。かつて全共闘時代は「右手に(朝日)ジャーナル、左手に(平凡)パンチ」と言われたものだ。青春時代に新左翼思想の洗礼を受けた彼らも、今はいっせいに定年退職を迎えている。彼らは一体何を読んでいるのか。雑誌を読むより、唯我独尊のブログを夢中で書いているのかもしれぬ。
『大学入試の戦後史:受験地獄から全入時代へ』
中井浩一『大学入試の戦後史:受験地獄から全入時代へ』(中公新書ラクレ 2007)を読む。
京都大の後期入試廃止や早大文学部での小論文廃止、慶応大SFCでのAO入試の変更など、近年の入試動向を丹念に追いながら、日本の社会風土と大学入試制度の関連にまで踏み込んで論を展開している。