月別アーカイブ: 2005年11月

『運命は35歳で決まる!』

櫻井秀勲『運命は35歳で決まる!』(三笠書房 2001)を読む。
タイトルの「35歳」に目が止まって購入した。私自身あと数年で35歳である。思えば馬齢を重ねたものだ。しかし、20代に比べて頭脳や体力が落ちたとは思わない。近年、イチローや松井秀喜、先日の高橋尚子など30代前半のスポーツ選手の活躍が目立つ。またホリエモンに代表されるように30代前半の成功した経営者も登場している。同世代として彼らの活躍は嬉しい。
著者も35歳までは体力も美貌も衰えないし、失敗をしても取り返すことができる、だからこそしっかり学べと述べる。しかし、続けて「人間は35歳までに学習したことでなければ、それを活用することはできない」と述べる。人間は35歳以降どうしても保守化してしまうものであり、また周りも35歳以降の人は動きが鈍くて使いにくいと判断してしまう。組織内のみ通用する肩書きや成功に浮かれて、真の人間的価値を高めていく学習を怠りたくないものだと反省した。
しかし、本書で占星術や手相の正当性を主張されていたり、また、同じ著者が『30代では遅すぎる!20代の生き方戦略』や『運命は48歳で逆転できる』といった本書と矛盾する本も上梓している。気楽に読み捨てるべき本であろう。

『ファザーファッカー』

内田春菊『ファザーファッカー』(文藝春秋 1993)を読む。
母からは冷遇され、養父に犯され続けた少女が物心ついた頃から16歳で家出するまでが独白調で語られる。家族すらも他人であるとか、性の商品化などのテーマを読み取ることもできるが、結局はエロをネタにしただけの注目狙いの作品という印象は免れない。

東京国際女子マラソン

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今日は朝遅く起きてだらだらと東京国際女子マラソンをテレビで見ていた。
高橋尚子選手が前評判通りに35キロ付近でスパートをかけて、力強い走りでぶっちぎりで優勝を決めた。「ワクワク、ドキドキしてる方が強い。走る以上は3、4位狙いじゃなく優勝目指して頑張りたい」と宣言し、緊張や焦り、不安を思いっきり走りに変えてしまう彼女の姿に励まされた人も多いだろう。ゴール後のインタビューで「夢を持ち続けて頑張れば、暗闇の道にも光が差してくることを皆さんに伝えたい」とエールを送っていた。いささか陳腐な内容であるが、42キロを疾走した直後の言葉だけに、否でも応でも聞いているものを感服させる力を持っていた。
それにしてもQちゃんの今回の優勝インタビューで、かつての有森裕子の「自分で自分をほめてあげたい」という発言が完全に否定されてしまったように感じるのは私だけだろうか。

『日蝕』

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平野啓一郎『日蝕』(新潮社 1998)を読む。
京都大学法学部在学中に「新潮」に投稿して巻頭に一挙掲載され、翌年芥川賞を受賞し、「三島由紀夫の再来」と騒がれた著者の作品である。
宗教改革の嵐が吹き荒れる前の15世紀末から16世紀初頭のフランスが舞台である。とある神秘的な超体験によって、体得した神学者ニコラの回想録という形をとって話は展開する。神学者ニコラは、スコラ哲学者トマスアクィナスの目指した信仰と理性、超自然と自然の調和の実体を求めてフィレンチェを目指して旅に出る。その道中、ゾロアスター教やマニ教などの異端教が解く教義−世界を秩序付ける善と悪の対立や矛盾−を越えようと、錬金術に没頭するピエェルに出会う。しかし、冷害による貧困にあえぐ民衆は生活苦のスケープゴートに、ピエェルが錬金術で作り出した両性具有者を仕立て上げる。ピエェルによって生み出された「完全な存在」の両性具有者が処刑される現場で、神が作り出した不完全な人間という被造物と完全な存在である両性具有者の一体化をニコラは経験する。(書いている内に自分でも何が言いたいのか分からなくなってきたぞ…)
悪魔との一体化によって救いを得ようとする永井豪原作の『デビルマン』や、逆に永遠の生命との一体化を求めんとする人間の不条理を描いた手塚治虫原作の『火の鳥』を彷彿させる作品である。難解な言葉回しさえ気にしなければ、ストーリーは面白く読める作品である。

『企業人の読書日記』

田淵節也ほか『企業人の読書日記』(図書出版社 1993)を読む。
1989年から93年にかけて雑誌「選択」 に掲載された企業トップの読書雑感がまとめられいてる。野村証券相談役田淵節也、松下電器相談役谷井昭雄、富士ゼロックス会長小林陽太郎、東日本旅客鉄道最高顧問山下勇、資生堂社長福原義春、三菱商事会長諸橋晋六(いずれも当時の役職名)の6名の企業人がビジネス書のみならず、小説や紀行文などの幅広いジャンルに亙る本についてのを披露している。89年から91年にかけてのバブル絶頂期にはJ・フォローズ著『日本封じ込め』や西尾幹二『日本の不安』など、世界に冠たる日本経済の行方について論じた威勢の良い著書の紹介が多いのだが、バブルがはじけた93年になると、相田みつを著『にんげんだもの』や司馬遼太郎『最後の将軍』、堀田力『再びの生きがい』など、我が身を振り返る内省的な本に傾倒していく変遷が面白かった。
このなかで特に、富士ゼロックス会長の小林陽太郎氏の読書日記が一番興味深かった。東京か地方か、平和か戦争か、権力か民主主義か、といった議論の尽きない微妙な問題について、どちらかに依拠しすぎず、常に「中庸」の視点を持ち、行動することを強調する。そうした彼の深い洞察力は、彼のみが未だに現役で富士ゼロックス社の会長に就いていることと無関係ではあるまい。