月別アーカイブ: 2005年1月

『ミッドナイトコール』

 上野千鶴子『ミッドナイトコール』(1990 朝日新聞社)を読む。
 朝日新聞に連載されたコラムなのだが、彼女の日常生活の一端がかいま見えて面白かった。しかし、長い間本棚に転がっていた本だったので、一度読んだことがあるような疑心暗鬼を抱えながら読み進めていった。その中で男と女の一人称についての話が興味深かった。女性は常に「私」という自己規定が意識されているのに対し、男性は社会的自己規定と、私的な自己規定に分離があるという指摘は、男性の側からは決して出てこない意見であろう。

 男にとって、一人称の使用が、こんなにやっかいなものだとは知らなかった。「私」という性別を超えた一人称を、男は社会人になってから獲得する。それは未成熟な「ボク」から、社会的な「私」へのテイクオフだ。成人してからも公的な文章の中で「ボク」を使いつづける男に感じるわたしの不快さは、自分の未熟さにしがみつく男の甘えに対する嫌悪だろう。だが、私的な領域に退行した時、男は再び「ボク」や「オレ」のような性別のあらわな一人称を使いはじめる。性別を超えようとすれば社会化された公的な言語を使うほかなく、逆に私的な領域でしゃべろうとすると、性別のあらわな一人称にしばられる。公的な〈私〉と私的な〈私〉との間に、断絶のある男って、けっこう不自由なのね。それに比べると、女は私的な〈私〉と公的な〈私〉との間の断絶を経験しないのかもしれない。

『福島瑞穂の新世紀対談:おもしろく生き抜いてみよう』

 福島瑞穂『福島瑞穂の新世紀対談:おもしろく生き抜いてみよう』(明石書店 2001)を読む。
 彼女がまだ党首になる前に『月刊社会民主』に連載された対談集である。佐高信氏や、金子勝、辺見庸、浅田彰、彼女のパートナーの海渡雄一氏などと、日本における社会民主主義の可能性について福島さんが素直に尋ねる形になっている。ちょうど対談の時期は小渕政権の頃の日米新ガイドライン関連法案、日の丸・君が代国旗・国歌法案、盗聴法、国民総背番号制に道を開く住民基本台帳改悪法成立など、まさにファシズムとしかいいようのない、法案が次々と成立していった時期と重なる。その渦中で福島さんが何に取り組み、何を目指そうとしたのかが分かって面白かった。

 辺見氏が対談の最後に以下のようなまとめを行っていた。いかにも彼らしい発言である。

 政治家も弁護士ももちろん僕らも労働者も、実はみんな表現者だと思うんです。言葉を競っているんだと思う。それが人の胸の深くにどれほど届くのかというのが勝負だと思うんです。政治はそうであるべきだし、現実にそうじゃないのかと思う。そこに返るしかないと思っているんです。
 言葉がこれほど乱暴に大量消費されて、一山いくらで売られている時代はない。特に政治の世界では、今日の言葉が、明日には何の意味も持たなくなっていたりする。だからこそ自前の言葉というのがすごく大事だと思いますよ。悪ずれした政治家は立板に水のように話しますが、聞く者の胸には何も着床しない。演説なんか下手でいいのだと思います。容易には言いえないことを、苦しみながら、言葉を厳しく選びながら訥々と、しかも必死で語ろうとする。その方が尊いのだと僕は思います。

平成電電

先ほど平成電電という会社のホームページをずっと眺めていた。匿名株式という制度があり、100万円投資すると毎月2万2千円が割り当てられるというものだ。但し元本保証も株主権もない。

『モーターサイクルダイアリーズ』

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エルネスト・チェ・ゲバラの青春時代を描いた『モーターサイクルダイアリーズ』(2004 英米)を恵比寿ガーデンシネマへ観に行った。
おんぼろバイクで南米大陸を縦断しながら、ハンセン病に対する差別に苦しむ患者に触れ合ったり、また、資本によって故郷を失い貧しい暮らしを強いられる人々に出会う中で、国境によって分断されている南米の社会を底辺から変えていく決意を固める姿が描かれる。「共産主義革命」にも「キューバ」にも全く触れることなく、南米の人との掛け値の無い交流が、ノートン500の空冷単気筒のエンジン音に刻まれる印象深い作品であった。

□ 映画『The Motorcycle Diaries Movie』公式サイト □

『原発を考える50話』

西尾漠『原発を考える50話』(岩波ジュニア新書 1996)を読む。
 原子力情報資料室の代表を務める西尾氏が原発の問題点を分かり易く解説する。原子力は火力に比べ中東の政治状況に左右されず、かつ、二酸化炭素の排出を抑えることができる環境にやさしい発電だと政府や電力会社は喧伝する。最近は「環境教育」が中教審でも議論され、総合的学習時間を通じて小中学校から原子力発電のメリットを教育する方向も打ち出されている。但し、やはり原子力発電の技術的なデメリットと、日本がプルトニウムを備蓄することの政治的な影響を考えると諸手を上げての賛成は出来ないであろう。