毛利子来・橋本治『子どもが子どもだったころ』(集英社 1998)を読む。
毛利氏は、ピアジェの発達心理学が戦後日本の教育界に入ってきて以来、子どもは未熟であるがゆえに大人による指導教育によって成熟していく必要があるという近代義務教育制度の行き過ぎが子どもから子どもの世界を奪ったと指摘する。また、ルソー以来連綿と流れる「子どもの発見」なる動きを警戒する。最近「子どもは無限の可能性を持った存在」だとする向きがあるが、これは「子ども」を尊重するようでいて、かえって人間として差異化し、「大人」の支配の下に置いてしまうのではないかと危惧する。そして「子ども」と「大人」の区別はアイマイにしておいた方がよいと指摘する。
『子どもが子どもだったころ』
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