月別アーカイブ: 2004年1月

『だれが「本」を殺すのか』

佐野眞一『だれが「本」を殺すのか』(プレジデント社 2001)を読む。
単行本で460頁ぎっしり書かれた本で、ひさびさに数日、時間にして10時間くらいかけて読み終えた。かなりの疲労感が残る本であった。著者という最も川上にいる存在が生み出したテキストが、編集者と出版社の手で加工され、取り次ぎを経て書店に並び、「本」という名の商品として読者に消費されるまでの全プロセスを一つあまさず描き、「本」の世界を取り巻く状況の全てを綿密な取材のもと露にした力作である。本離れの原因とされてきた問題は、これまで大型書店の進出に伴う中小店の減少や、取り次ぎの寡占、ブックオフなどの大型新古書店の拡大、図書館の影響などさまざま個別に論じられてきた。しかし佐野氏はそうした本離れを引き起こした真犯人を追いつめようと取材を重ねていくが、結局犯人像ははっきりしない。もしかしたら読者を含めた関係者全員が犯人であるのかもしれない。「本」の世界に関わる人間にとって現状を知るための必読の書であろう。しかし読んだからといって救いがもたらされる訳ではないが。。。

『ラブストーリー』

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クァク・ジェヨン監督・脚本『ラブストーリー』(2003 韓国)を大宮へ観に行った。
『猟奇的な彼女』の監督の作品であるため、期待して観に行ったが、期待を裏切らない純なラブストーリーであった。2003年の女子大生のありきたりな恋愛と、親の日記中における1968年という激動の時代の恋愛がオーバーラップしながら話は展開していく。黒髪の俳優女優が出演しており、最初は日本映画かと勘違いしてしまうが、韓国の朴正煕軍事政権から金大中民主政権への移行、その契機ともなったベトナム戦争体験も描かれており、後半部は日本映画との違いが目立った。一つ面白いことに気づいたのだが、男女別学で自由恋愛が御法度な時代の方が恋愛に対する熱意も、相手を振り向かせようとする愛の言葉も豊富で、逆に携帯でいつでも連絡が取れる現代の方が「相手は分かってくれるだろう」という思い込みが先行し、恋の言葉も激しさも減ってしまっている。「ロミオとジュリエット」のようにハードルが高ければ高いほど恋愛は盛り上がるという古典的な恋愛の法則を示しているのだろうか。

『解夏』

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本日岩井へ、磯村一路監督・脚本『解夏』(2003 東宝)を観に行った。
春日部から茨城県岩井市は車で行ってもかなり遠く、途中関宿の木間ケ瀬から利根川にかかる下総利根大橋を越えて岩井に入る辺りは寂れたところでまったく人気がなくなってしまう。しかしそうした所を通ることで、埼玉という「現実に生活する」世界から岩井という「虚構の物語」の世界に入り込む錯覚を覚える。岩井市民には申し訳ないが、岩井は電車も通っていない町であり、周辺の町からも離れており、私にとって現実とは繋がっていないない架空の世界である。ちょうど川端康成の『雪国』におけるトンネルのように、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』における暗い建物のように、はたまた『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』における畳の下の遥か遠い宇宙へつながる時空の扉のように、現実と虚構の架け橋を越えて岩井に出掛けていくのである。

話の内容としては病気が進行していくほど恋愛感情も高まっていくという典型的な恋愛ストーリーであり、台詞も陳腐な者であったが、主演の大沢たかお、石田ゆり子の演技がすばらしく、最後まで見入ってしまった。俳優あっての映画であろう。また長崎の観光地もあちこち紹介されており、ぶらぶらと長崎の町をあてもなく散歩してみたくなった。

『自殺』

柳美里『自殺』(文春文庫1999)を読む。
「自殺」という過激なタイトルであるが、自殺を肯定するでもなく、いたずらに否定するでもない。死が家庭から消え、病院の中で起こる出来事になり、日常生活から縁遠くなってしまったために、我々は死をいたずらに恐怖したり、賛美したりしてしまう。だからこそ死を常に意識することで、生を捉え直そうと柳さんは訴える。

私の自殺に対する考えの中心をなしているのは、生のなかに死をプログラムすべきだということです。どんなにポジティブに生への意志を持っていても、必ずいつかは死が訪れるのだから、予め死の準備をしておくべきだと言いたかったのです。私は死をプログラムすることが、生きる価値と意味を喪失してしまった現代社会において、自殺をコントロールする唯一の方法なのかもしれないと考えています。(中略)私は今日ほど考えることが軽んじられている時代はないと思っていますが、誰でもいつかは死とは何かを考えないわけにはいかないのです。だとすればまず生のなかに存在する死を受容することから考えはじめたらどうかと言いたいのです。(中略)死は外側からやってくるのではなく、ひとりひとりの内部に実存しているのだとすれば、どのようなときに、どのように自決するのかを考えておくことは、生の意味と価値を探求することになるのではないでしょうか。

『徒然草』において吉田兼好も「生・老・病・死の移り来たること、またこれに過ぎたり。四季はなほ定まれるついであり。死期はついでを待たず。死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり。人皆死あることを知りて、待つこと、しかも急ならざるに、おぼえずして来たる」と死は意図するにせよしないにせよ、突然やってくるものであるが、それを必然と捉えることで精神の安定が計れると説く。人間かならず死に向かっているということを直視することで生きることの

『爆笑問題の日本史原論偉人編』

爆笑問題『爆笑問題の日本史原論偉人編』(メディアワークス 2001)を読む。
いつものながらのぼけとつっこみで聖徳太子や坂本龍馬、源義経など「偉人」の素顔を面白く紹介している。平賀源内や吉田茂など分かっているようで分かっていなかった人物の横顔が垣間見えてよかった。安保調印、破防法制定などごり押しなイメージの目立つ吉田であるが、自衛のための戦争は認めようとする共産党の野坂参三に対して、近年の戦争の多くは、防衛のために行われた。よって、日本はすべての戦争を否定し、放棄する」と言い放ったエピソードなどは興味深い。