先日相米慎二監督『お引越し』をビデオを借りて観た。
ここ数年来、何回も観ているものであり、ストーリーはもちろんのこと台詞まで覚えてしまっているのに、観る度に感動が形を変えてやってくる。当初は「漆場漣子」役を演じる田端智子さんの無垢で迫真に迫る演技に魅了されたが、何度か観ているうちにラストシーンにおける一人の少女の成長の姿の意味について考えるようになった。ちょうど宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』とテーマといい、非日常的な舞台設定といいそっくりである。ある夏の日の思春期に差しかかる少年少女の心の成長を扱った作品は、スティーブン・キング原作の映画『スタンド・バイ・ミー』など洋の東西を問わない。この『お引越し』で描かれる少女の成長は、単に大人の世界をかいま見たとか、異性の魅力に触れたとか通り一遍の評論では語り尽くせない。竹林を彷徨い、もう一人の自分を見つめる自分と出会うという極めて哲学的なアイデンティティの確認作業が一人の少女を通じて行われている。
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『二重スパイ』
本日封切りされたキム・ヒョンジョン監督映画『二重スパイ』(2003 韓国)を観に出かけた。
『マトリックス・リローデッド』と同時に公開されたためか、残念ながら、館内の観客は疎らであった。
背反する国家と愛情に悩む主人公の姿とスパイ映画にありがちなモチーフであったが、民族意識と統一の問題について少し考えている時期だったので楽しめることが出来た。70年代後半から80年代にかけて日本が一定の平和を謳歌している時期に、峻烈な同民族同士の憎しみ合いを強制されてきた民族の悲哀を改めて実感した。前作『JSA』が友情と国家というテーマだったのに対し、今回は愛情と国家であったためか、陳腐な恋愛映画の雰囲気が根底に流れてしまったのは残念だった。韓国脱出後のラストシーンはほぼ展開が読めてしまった。
『ボイス』
『キャッチミー・イフ・ユー・キャン』
『戦場のピアニスト』
先日大宮のサティの中にあるワーナーマイカルというシネコンで、ロマン・ポランスキー監督『戦場のピアニスト(The Pianist)』(2002 仏独英波)を観た。
CMで映画評論家のおすぎが「感動」を連呼していたが、正直泣ける映画ではなかった。しかし見終わった後で、いろいろ考えさせる映画であったことに気付いた。
ナチスドイツがワルシャワに侵攻した1939年から話は始まる。ユダヤ人のピアニストであった主人公シュピルマンは当然のごとく、ユダヤ人居住区であるゲットーでの生活を余儀なくされ、アウシュビッツへの片道列車の恐怖におびえながらの生活が続く。しかし主人公シュピルマンは運命のいたづらか、ゲットーから脱出し、ワルシャワ市民やドイツ兵の監視の眼の届きにくい場所に落ち着くことができた。しかし仲間の裏切りもあり、栄養失調のためいつ死んでもおかしくない絶望の状況に追いつめられていく。そして廃屋の屋根裏での生活がドイツ兵に見つかる。そこでドイツ兵に問いつめられたシュピルマンは最後に「わたしはピアニストだ」「戦争が終わったらラジオ番組でピアノを弾きたい」と力強く言い放つ。彼が戦火を逃れ生きようとする根本の力がピアノであったことに観客は気付く。
単に戦争批判をくり返すことだけではなく,自分らしさや自分なりの夢を真摯に追う,自分の将来像を確と見据えることも戦争反対の原動力になるのではないか。