学習・学び」カテゴリーアーカイブ

長崎研修

20100321nagasaki
グラバー園から大村湾を望む

長崎へ1泊2日の研修に出かけてきた。長崎県観光協会主催の研修会で、県内のあちこちの観光地を駆け足で巡り、地元の観光協会の説明会やレポート作成など慌ただしい2日間であった。
その中でも、佐世保バーガーを食べたり、長崎市で平和活動を行う高校生と触れ合いがあったりと楽しい時間を過ごすことができた。とりわけ「核兵器の廃絶と 平和な世界の実現をめざす「高校生1万人署名活動」実行委員会の生徒との出会いは新鮮であった。得てして高校生の運動というと、1回限りのイベント的なも のや大人が仕切るものであることが多いが、長崎の高校生は変に政治性を帯びることなく、等身大の平和や、将来の目標など語ってくれて大変興味深かった。
長崎は平和資料館以外、どこもかしこも福山雅治さんのポスターが飾られ、龍馬一色であった。

  • 旅程
  • 石岳動植物園
  • 西海パールシーリゾート海きらら
  • 巨大防空壕「無窮洞」
  • ハウステンボス
  • 平和公園・原爆資料館
  • 史跡料亭「花月」
  • グラバー園
  • 長崎歴史文化博物館

「オキナワの心・平和憲法・米軍基地」

本日、春日部商工振興センターで、東武鉄道労組春日部支部に連絡先を置く労組埼玉東部ブロック護憲集会実行委員会主催の、社民党・照屋寛徳衆院議員の「オキナワの心・平和憲法・米軍基地」と題した記念講演を聞いた。
講演に先立ち、浪江埼玉県平和運動センター議長や日森参議院議員選挙予定候補者や社民党所属の市議などの来賓挨拶があり、さながら社民党の集会のような雰囲気であった。

講演の中で、照屋氏は、オキナワは米軍支配下の27年間は「無憲法」状態であり、本土復帰した後の38年間は「反憲法」状態であると嘆いていた。現在もウ チナーンチュは不発弾や爆音、米軍の犯罪におびえており、憲法13条の生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利や、憲法前文に書かれている「恐怖と欠乏 から免れ、平和のうちに生存する権利」が蔑ろにされ、オキナワでは最高法規であるはずの憲法よりも日米地位協定が上にあるということだ。

また、現在政府で検討されている、世界一危険とも言われる普天間基地の代替としての辺野古移設は、結局は新たな基地の増設であり、到底許されるものではな いと照屋氏は述べる。基地整備には1兆3000億円もの大金が掛かるが、それを他の施策に用いれば何人の命が救えるのか。そして最後に氏は「同情はしない でほしい」という言葉を口にした。それは、米軍基地は沖縄一県の問題ではなく日本全体の問題であるからだ。必要なのは「同情」ではなく、ともに問題意識を 持ち、護憲政党を支持し、行動することだと訴える。

また、基地が撤退したら沖縄の経済や雇用が困るという意見があるが、返還前と異なり、現在の基地収入は県の経済のわずか5%であり、何ら問題はないとい う。沖縄の中心地にあった基地の跡地には商店街が作られ、基地では23人しかいなかった雇用が2万人に拡大した実例を挙げ、基地の撤退、日米地位協定の全 面改定を指摘していた。

ブリタニカ国際大百科事典より

「日米地位協定」
正式には日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」とい い、日米安全保障条約とともに1960年1月19日に調印され、同年6月23日に発効した。日本国憲法に基づく条約であり、施設および区域の特定方法、米 軍の出入国の保障および課税免除、米軍の構成員、軍属およびその家族に対する課税権、民事裁判権および掲示裁判権の所在、日本の協力義務などを規定してい る。

 

日本国憲法前文第2段
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安 全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地 位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

□  名護市役所 政策推進部 基地対策室のホームページ  □

生徒に送った言葉

〈生徒に送った言葉〉

ご卒業おめでとうございます。
昨年度は古典ないし現代文を、今年度は現代文を担当しました。特に今年度の2学期には、試験を挟んで約2ヶ月、森鴎外の『舞姫』を扱うことができ、国語科 の教員冥利につきる日々でした。授業の中でも触れましたが、『舞姫』の主題は、日清・日露戦争へと突き進む国家の土台を築いた山県有朋(天方伯)について いくか否か迷った挙げ句、最悪の形で帰国(出世)の道を選んだ主人公太田豊太郎の決断にあります。
文学というのは、個人の内面を通して社会を見る、また社会の動きが個人の悩みを誘発する、そうした個人と社会のつながりを表すものです。高校の国語の授業 で、『羅生門』『山月記』『こころ』『舞姫』と近代文学の代表的な4つの作品を扱ってきましたが、どれも登場人物を巡る社会状況と心の葛藤がテーマでし た。
さてこれからはみなさん自身が「文学」を紡いでいく番です。様々な登場人物がぶつかり、政治や経済が揺れ動いていく手に汗握るドラマを演出してください。

「高等学校における発達障害の支援~特別でない特別支援教育~」

本日の午後、さいたま桜高等学園で開かれた公開講座に出かけた。
京都府立朱雀高等学校で特別支援教育に関わっている島貫学氏の「高等学校における発達障害の支援~特別でない特別支援教育~」と題した講演を聞いた。
島貫氏は京都市内の普通科高校に勤務され、教務部という立場から「気になる生徒」のフォローを担当している。特別支援教育というと生徒指導部もしくは保健部の一部の教員が担当するものと相場が決まっているが、島貫氏は、普通科高校では学習のつまづきや欠課が嵩み、単位認定に大きく絡んでくるので、教務を中心に情報の共有化を計ることを提案している。また、入試を経て入学してきているので、「障害」の診断を前提に話を進めていくのではなく、あくまで普通科の教育スタイルの中で可能な個別の対応、誰でもが分かりやすい授業、公平な教員の接し方などが大切だと島貫氏は述べていた。
それに比べ、文科省や埼玉県の押しつけ的な「特別支援教育」や「個別の指導計画、支援計画」「校内委員会制度」は、教員の負担感が大きく、拙速な施策であることは否めないであろう。

また、特に発達障害は障害だけを見るのではなく、発達の「凸凹」と捉え、落ち込んでいる面だけを見るのではなく、秀でている面を同時に見る必要があると島貫氏は述べていた。
よく議論になる障害の「ガイ」の字の表記について、島貫氏は、表意文字である以上漢字をひらがなに直すだけでは解決にならないと述べる。そして「行く手をさえぎるような石を見つける」という意味の「碍」の字や、「石の前でためらい、足をとめる」という意味の「礙」の字を当ててみてはと提案している。

『子どもの貧困・格差を考える集会』

埼玉教育フォーラム主催『子どもの貧困・格差を考える集会』に参加した。
元埼玉大教授鎌倉孝夫氏は、主催者挨拶で、相対的貧困率が15.7%に達した事実を挙げ、高校授業料無償化といった対処療法的な対応は一定の評価はできるが、まだ不十分であり、教育基本法の精神を取り戻す根本的な解決が求められると述べた。

続いて、なたにや正義民主党参議院議員が壇上に上がり、政務三役の連携により、政府と与党が一体化され、より迅速、適切な政権運営が可能となったなどの国会情勢報告が長々となされた。

そして鳫咲子・早稲田大学非常勤講師の「子どもの貧困と就学援助制度=失われた教育の機会均等=」と題したが行われた。生活保護もしくはそれに準じる保護者の子弟に対する就学援助制度対象者はこの10年間で2倍、全国で7人に1人になるという。この背景にはリストラなどの就業環境の変化とひとり親家庭の増加が2大要因である。特に母子家庭の世帯平均所得は243万円であり、その4割が200万円以下の年収しかない。

就学援助制度とは、憲法第26条の「教育を受ける権利」および、教基法第4条の「奨学の措置」に基づき、学校教育法第25条・第40条「経済的理由により就学困難と認められる学齢児童生徒の保護者に対しては、市町村は、必要な援助を与えなければならない」によって制度化されている。しかし、三位一体改革によって一般財源化され市町村に委譲されてから、自治体によって運営に差が生じ、必要なところに行き届いていない現状があるという。鳫さんは、シビルミニマムを確保するために、適切な情報提供と関係者間(学校・福祉・NPO等)の連携、情報の共有を提唱する。

生活保護の概要や申請方法については、3年前の社会福祉士国家試験の際に勉強したはずなのに、記憶からすっぽり抜け落ちていた。せっかくの勉強が無駄になっている、、、。。。