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『無資本主義商品論』

小田嶋隆『無資本主義商品論』(翔泳社,1995)をパラパラと読む。
著者は早稲田大学教育学部を卒業後、ラジオのADやテクニカルライター、コンピュータのコラムニストなど様々な肩書を持つ人物である。Wikipediaによると、早稲田大学文化構想学部非常勤講師を務めていたが、2022年に病気で亡くなっている。

80年代後半から90年代前半にかけて雑誌「噂の真相」に連載されたエッセーで、円高で経済は絶好調であるにも関わらず、一部の富裕層を除いて、物価高に喘いで貧しい生活を強いられる庶民の生活を露わにしている。

われわれ東京都民は、うだうだと文句を垂れながらもこの(首都高速)道路を利用せざるを得ないのであり、また首都高速公団も、そのことを熟知しているからこそ、この図々しい価格設定をあらためないのである。(中略)
そもそも道であるとか橋であるとか電気であるとかいった公共性の高いものに料金をつけられた時点で、庶民はお手上げなのである。なぜって、靴下や歯ブラシなら不買運動もできるし、無しで過ごせないこともないが、道路や電気なしで暮らすなんてことは事実上不可能だからだ。
要するに、道に通せんぼをして通行料を取り上げるこのやり口は、ほとんど空気に税金をかけるに等しいということだ。(中略)
意外に知られていないことだがこの盗っ人仕事の絵図を描いたのは、あの田中角栄だ。彼は道路の建設費用として、ガソリン税と自動車税というものを案出したのである。そしてその潤沢な資金を国中の土建屋にバラまいて権力を得たわけだ。
つまり「道路を利用するドライバーが、道路のための税金を負担するのは当然のことではないか」という、この一見もっともらしい受益者負担の理屈に全国民が騙されたって事だ。

『本郷ロシア語クールス物語』

伊集院俊隆『本郷ロシア語クールス物語』(新読書社,1993)をパラパラと読む。
著者は東京外語大ロシア語学科を卒業し、東京・本郷でロシア語塾を主催していた方である。塾に参加していた受講生のことやモスクワ旅行、日本におけるロシア語教育について語っている。誤植もあったので、編集や校閲もなしにほとんど自費出版に近い形で刊行されたのであろう。個人的な思い出がずっと続くので、途中から飽きてしまった。
ちょうど私が駿台予備校で浪人生活を送っていた頃で、当時駿台1号館前にあったニコライ学院に羨望の眼差しを送っていた頃を思い出した。

『スペインのある農夫へのレクイエム』

ラモン・センデール著/浜田滋郎訳・解説『スペインのある農夫へのレクイエム』(西和書林,1985)を少しだけ読む。著書はスペイン現代文学を代表する作家で、ノーベル文学賞の候補にも上がった人物である。著者の生まれであるスペインのアラゴン地方を舞台にして、司祭と住民とのやりとりが描かれる。全く頭に入ってこなかった。
解説は半分だけ読んだ。著者はスペイン内戦の際にはアナーキスト派に属しており、ファシストに追われると同時に、共産党からも命を狙われ、1938年以降ずっと亡命生活を送っている。

『わたしは趣味のエコロジスト』

室田武×赤星たみこ『わたしは趣味のエコロジスト』(メディアファクトリー,1993)を読む。
この手の環境に関する本は、「〜〜すべきだ」「〜〜を心がけよ」といった教条的な物言いが多く、ちょっとうんざりしながらページを繰っていった。しかし、本書はタイトルに「趣味のエコロジスト」とあるのように、日常生活の中で無理せずに継続できる形で、合成洗剤の使用を減らしたり、ゴミの分別を意識したりすることが大事だと述べる。

日本の場合、とにかく人間の排泄物というのが肥料として貴重な資源だったから、そもそも下水道を普及させる必要はなかった。しかし、明治になってなぜ下水が出てきたことかと、大雨のときに都市でよく洪水が起こったので、雨水を早く海に流すのが主たる目的であったそうだ。
西洋の国では、だいたい人糞を不浄視する考え方があって、それを農地にきちんと入れる習慣がない国もあった。フランスのパリでは農地に還元しないから街路の上にぶちまけたりして、これでは汚いし臭いがきついし、それで悪臭や伝染病を防ぐために下水道ができた。

水は液体の時は空気より重いけど、期待になると空気より軽くなる。分子量でいうと、H2Oは18にしかならない。一報大気のN2の分子量は28、酸素の分子量は32ということで、28と32の重さのものが4対1で混じっている。それに対して水蒸気というのは18しか重さがないので、浮力が発生してどんどん上空に昇っていく。
水分を吹くんでいる空気はなんとなく重そうな感じだが、実際は軽いので上空へと上がっていく。

日本の水田農業は理想に近い農業である。水田は山の養分をそのまま利用しているので、化学肥料をそんなに使わなくても7割くらいは穫れるはずである。ところが、大陸のヨーロッパでは、アルプスの周辺は別として、日本みたいに山岳地帯がないから山からの養分があまりない。ヨーロッパでは地力を維持するということで、連作障害が出ないようにして休耕する部分をかなり残しながら、近くに林を人為的に育てておいて、その落ち葉を入れる。だから、畑とその周辺の林を一体のものとして考えるのが三圃式農業である。

『オウムからの帰還』

高橋英利『オウムからの帰還』(草思社,1996)を読む。
最初はさらっと読み流すつもりであったが、最後までじっくりと読んだ。サリン事件の後にオウム真理教から脱退した著者が、自身がオウム真理教に入信し、やがて出家し、過酷なイニシエーションに耐えながら占星術のプログラミングの修行に邁進する前半と、サリン事件の強制捜査以降、オウム真理教に疑問を抱いて脱退し、テレビ番組で上祐史浩氏との対談中に、直属の上司であった村井秀夫氏の刺殺事件の一報が報じられる後半がテンポよく描かれる。重っ苦しい手記を読んでいるというよりも、SF小説を読んでいるような軽快感を感じた。

また、読みながら、1995年という激動の年に思いを馳せた。自分自身が深夜に上九一色村にドライブに出かけたことや、一方でオウム真理教に対する破壊活動防止法適用に反対するデモに参加したことなどを思い出した。