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『1973年に生まれて』

速水健朗『1973年に生まれて:団塊ジュニア世代の半世紀』(東京書籍 2023)を読む。
久しぶりに新刊を購入し、一気に読み終えた。約210万人いる団塊ジュニア世代の中でも一番多い1973年生まれにフォーカスして、スポーツ選手や芸能人、IT業界の起業家などを取り上げ、さらに我々世代が経験してきた事件やメディアの進化、サブカルなど、ありとあらゆるモノやコトが紹介されている。PC-98やコードレスホン、おたっくす、通信カラオケの目次本など、デジタル化の波でいつの間にか消えていったエピソードが面白かった。
あとがきの一節が印象に残った。

73年世代の生きてきた時代の中で、多くのものがアナログからデジタルへと転換していった。その移行は、単線なものではなく、複線的に進み、いくつもの失敗の繰り返しでもあった。自分の世代が新しい側に乗れたこともあるし、乗り遅れたものもある。

『新哲学入門』

板倉聖宣『新哲学入門:楽しく生きるための考え方』(仮説社 1992)をパラパラと読む。
著者は1953年東京大学教養学部教養学科、科学史科学哲学分科を卒業。1958年東京大学大学院数物系研究科物理学課程博士コースを修了、物理学史の研究によって理学博士となった科学の専門家である。その著者があえて森羅万象を扱う哲学について論じる。

米国の禁酒法や江戸時代の生類憐みの令、毛沢東の文化大革命などは壮大な社会実験であり、その中身は間違ったものであったが、実験を経て人間は賢い方向に進歩してきたと論じる。つまり、自然科学であろうと社会科学であろうと、仮説を立て実験を繰り返すことで学問は進化していくのであり、最初から真実に到達したり、安易な弁証法で真理を得るのは間違いであるとする。

『山と写真 わが青春』

白籏史朗『山と写真 わが青春』(岩波ジュニア新書 1980)をパラパラと読む。
刊行当時47歳の著者が、山岳写真家として食っていけるまでの過去半生が綴られている。1933年生まれということもあり、中学卒業後から働き続ける。山に対する憧れを抱きつつも、スタジオ写真や写真の現像、新聞の写真部など、自分の夢に近づいていかない苛立ちが描かれている。ようやく30代に入ってから少しずつ山の写真を撮る仕事に触れるようになった。著者はそうした長い下積み時代を「青春」と呼ぶ。

『日本語が見えると英語も見える』

荒木博之『日本語が見えると英語も見える:新英語教育論』(中公新書 1994)をパラパラと読む。著者は広島大学や立命館大学で英文学や比較文化論を教えていた教授である。本書は著者の専門分野に関するエッセーのような内容であった。「さらさらした雪」「とろとろしたスープ」などのオノマトペが英語に訳しにくい理由や、電話口での「弟と代わりますから」というやりとりが会話主の「I 」もなければ電話相手の「you」すら省略されてしまう事例が紹介されている。日本語の曖昧さというか、日本語の持つ独特な力について論じられている。

『敬語』

坂詰力治『敬語:思いやりのコミュニケーション』(有斐閣新書 1985)をパラパラと読む。
著者は執筆当時東洋大学文学部で国語学を教授する研究者であった。著者は敬語について「伝達内容を直接表すものではなく、情報伝達の授受に関わる人間関係に応じて行われるもの」とし、「人間関係のわきまえをもとにした言語表現」であると定義づけている。本論は実例ばかりだったので、さっと読み飛ばした。